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2008年12月20日(土) 17時55分

「革命的世代」…闘争の舞台はネットへ移り産経新聞

 ■暗黙のルール

 「全共闘史」のなかで、11月22日は記念日の一つなのだという。昭和43年のこの日、東京大学の安田講堂前で「東大・日大闘争勝利全国学生総決起大会」が開かれ、両大学の全共闘が合流したとされる。今年、40年後の記念日に日大全共闘のOBたちは、安田講堂にほど近いホテルの宴会場で同窓会を開いていた。

 乾杯の音頭をとったのは、日大全共闘の元議長、秋田明大さん(61)。瀬戸内の島で自動車修理工場を営む秋田さんが上京することはめったにない。

 「こういう場に立つのは40年ぶり。私がそうだから言うわけではありませんが、みなさんも紆余(うよ)曲折しながら頑張ってこられたと思います。とにかく、あさってではなく、明日に向けて頑張っていきたいです」

 短いあいさつだったが、元闘士たちは満足そうに拍手を送った。周囲から声をかけられるたび、秋田さんは丁寧に頭を下げた。

 会場を訪れたのは、日大だけでなく、東大、早稲田大などの元闘士ら約90人。会場にはプロジェクターで当時のモノクロ映像が流された。バリケード、立て看板、ヘルメット…。若き日の映像を前に、白髪の元闘士たちが興奮しながら順番にあいさつに立つ。

 「最近思い立って、地域の環境運動などに取り組んでいます。私の闘争の原点は日大闘争です」「ここに来ると考えただけで、久しぶりにデモにいくような高揚感がありました」…。中には、「人生のなかであんなに面白い時間はなかった」と話した人もいた。

 ただ、「同窓会」と銘打っている割にはどうもよそよそしさも感じられる。参加者の一人に尋ねると、意外な答えが返ってきた。

 「私の場合は、ほとんどが初対面。当時どこかで会ったことがあるのかもしれませんが、あのころは偽名を使うのが当たり前だった。互いの本名を名乗らないのが暗黙のルールでしたから」

 ■ネット社会

 確かに会場では、初対面のあいさつをしている人が少なくなかった。「互いに名前を知らなくとも、その場に集まることに意味があったんです」。そう話す参加者もいた。

 全共闘の特性のひとつとして語られる「匿名性」。元闘士らは「不当な処分や逮捕もあった時代で、自分を守るために必要な手段だった」と説明するが、あれほどの運動が、後世にうまく伝えられなかった理由の一つはそこにもあるのではないか。そして、責任の所在があいまいになったという側面もあったかもしれない。

 この日の同窓会の10日ほど前に89歳で亡くなり、当時、東大紛争の処理を担当した元東大総長代行、加藤一郎さんは平成6年、「全共闘運動の意味について」という興味深い文章を残している。そこでは「全共闘の魅力は誰でも自由に議論ができる『組織なき運動』だったところにある」と一定の評価をした上で、こう続けている。

 「しかし、この組織のないことが同時に欠陥になった。誰でも自由に入って議論すれば、自由な議論はできるが無責任な議論になるおそれがある。そこでは妥協は排撃され、元気のよい強硬な意見に支配されがちになる」

 単純に同一視することはできないかもしれないが、こうした特性は、インターネット社会における匿名性に通じているような気もする。現役社員の内部告発などを通じ不正を明らかにしやすい半面、無責任な意見が飛び交う危険性も秘めているからだ。

 ■ハンドルネームは…

 近年、会社を退職をするなどして人生に余裕ができたからだろうか。元闘士たちも次々とネット界へと進出し、全共闘回顧のホームページを立ち上げる人が増えている。この同窓会にもそうしたページの主宰者たちが顔をみせていた。

 自らHPを開設している元闘士(60)は「ホームページを開設したのはインターネットが匿名だったから」と話した。「ノスタルジックな気持ちもあるし、人生を振り返って、あんなに力を込めたことはなかったという思いもある。人生も終盤にさしかかり、HPを見た人から『お前がしたことは無駄じゃない』と言ってもらいたいという甘えもある」

 HPを通じて交友が広がり、こうした会合に参加するようになった人もいるという。同窓会ではこんなシーンもあった。「私のハンドルネームは○○です」とある元闘士が語ると「あれは、あなただったのですか。掲示板で見たことがあります」と数人から一気に感嘆の声があがったのだ。

 40年の時を経て、再び彼らを結集させた「匿名性」。マイクを握った参加者からは、「せめて今の政治状況を見過ごさず、おかしいことをおかしいと言うべきだ」「黙して語らずではなく行動することで団塊世代の責任を果たしたい」との意見も出たが、具体的な行動をうながす提案には至らなかった。

 昼過ぎに始まった同窓会は、約6時間にわたって盛り上がり、全共闘同窓会の定番、インターナショナルの大合唱でお開きになった。肩を組んで声を張り上げているうちに、感極まったのだろう。目に涙をためた人もいた。

 パソコンは苦手だという秋田さんに感想を尋ねると「私はいろんな思いを、今住んでいる小さい島に持って帰って、精いっぱい生きていければそれで良いと思っている」と話した。

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