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2008年12月19日(金) 13時09分

ブログが変えたインターネットの地位ITmediaエンタープライズ

 “ウェブログ”か“ブログ”か、はたまた“blog”か。人気ブロガー9名による座談会、今回はその黎明期に勃発した呼称問題から、ブログがインターネットに与えた影響についてまでを熱く語り合ってもらった。

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(1):ブログで変わった私の人生

●“ウェブログ”か“ブログ”か、それが問題だ

 いちる みなさんはブログを、いつごろからどのように意識し始めましたか?

 速水 ブログって最初はWeb日記だったじゃないですか。私がブログを始めた2003年秋ごろは、“ウェブログ”という言い方と“ブログ”という言い方が混在していました。最初はウェブログが多くて、いつからかブログが主流になった。それってココログ(ニフティのブログサービス)が始まった2003年の12月くらいのころでしょうか。

 いちる 僕はそのころ、ニフティでココログ立ち上げの企画書を書いたりしていました。当時、シックスアパートとニフティとの間で、ウェブログかブログかと大論争になったことがあります。ニフティはブログといいたかったけど、シックス・アパートは当時はブログと呼びたくなかった。

 小飼 「ブ・ロ・グ」と言われると、ちょっと違和感ありますね。“(カタカナの)ブログ”と“(英語発音の)blog”があって、日本のブログの方は、リアルの自分とはコネクトしていない。blogの方は米国でおもにやられているものですが、アノニマス(匿名)なものがほとんどない。

 いしたにまさき 『ウェブログ・ハンドブック(レベッカ ブラッド著)』という本の影響が大きかったのではないでしょうか。名著ですよね。あれが出版されて、ウェブログをすごく意識するようになった。それが日本では、ココログ以降にブログになったのでは。

 中島ひな ココログは、コミケの企業ブースで配っていたチラシを偶然に受け取って知りました。その日の打ち上げで、あるカメラマンからブログを勧められて、今のブログを始めるきっかけになったんです。

 いちる そのチラシを作ったのは僕のいたチームです。そのころブログって日本で全然知られていなくて、ココログを普及させるために、考えられることはとにかくなんでもやりました。だから、コミケにも3日間、わざわざ出掛けてチラシを配ったんですよ。その結果が、ブロガーのひなちゃんを生みだしたんですね。やってよかったなぁ。

 速水 いちるさんのコミケへの宣伝活動が、その後の日本的なブログの発展に影響を与えたのかも。それが、良かったのか悪かったのかというと、まあ良かったんでしょう(笑)。

 四家 私はもともと日記サイトをやっていて、いくつかの不満がありました。ブログのコメントやトラックバック、RSSの機能は、そういった不満を一気に解消してくれるものでした。最初は、Movable Typeのテンプレートそのままのデザインってどうもなじめなかったのですが、そういう機能の便利さが分かってくると、デザインの意味も分かってくる。当時は、CMSでページを作っている人も、日本にはまだほとんどいなかったころですね。

 いちる ブログがなかったころは、個人ホームページは日記コーナーと読者が感想を書き込むコーナーが分かれていた。掲示板のCGIを使ったりして。ブログでは、その部分ががっちり緊密に結びついて、これは違うなと感じましたね。

 小飼 僕は、技術者としてブログの存在自体はかなり前から知っていました。ティム・オライリ−本人から教わったくらいです。ただし、知ってはいたのですが、興味があったのは仕組みの方だったのです。それに何かを書くということには、当初は全く興味がありませんでした。

 ところが実際にブログをやってみると、すごく面白い。世の中にはいろいろなものがあって、実際にやってみないとその面白さは分からないものだなぁと感じました。ブログは、「定義される言葉」から「定義する(のに使われる)言葉」になったなと考えます。いまやブログは辞書の基本単語になっていて、これは本当にすごいことだなと思いますね。

 モダシン 私がウェブログというものを意識したのは、2002年の7月あたりでしょうか。これはなんだろう、“Web + log”なので、なにかを記録するものか、クリッピングみたいなものかなと思っていました。2003年ころになって、ウェブログをブログと呼ぶようになった。「“Weblog”だからBは小文字だろう」ということで、私のBlogPeopleも最初は“blogPeople”とPだけ大文字だったんです。それがブログという単語が認知されたので、Bは大文字でもいいなということになり、“BlogPeople”に変えました。

 徳力 私は、自分がブログを意識したのがいつだったか、全然覚えていません(苦笑)。なんだか楽しそうだなぁと思ってよく見てみるとMovable Typeと書いてある。で、調べてたらインストールしなきゃいけないので、自分には無理だなぁと感じていたのが始めでしょうか。

 いしたに インプレスの雑誌『インターネットマガジン』のMovable Typeのインストール記事を掲載した号が売れたんですよ。たしか2003年2月号ですよ。

●「やつらを表に引っ張り出せ」

 いちる ここからは、みんなでわいわいと話ができればなと思います。で、話題なんですが、そもそもブログって何だったんでしょうね?

 四家 米国の“blog”は、オピニオン(意見を発信する)のためのツールだったり、カウンターメディアだったりしますね。とくに、911テロのときにはそういう面が強く出た。対して日本は、日記サイトから始まった。日本のブログは、雑談ができるというのが特徴ではないでしょうか。シリアスなことも、そうでないことも話せる。それを特にカテゴリー分けとかしなくてもいい。

 日本人は雑談が好きなので、インターネット上に雑談できる空間を作ったのはすごいことなのかもしれません。例えば、サッカーの話をしているコグレさんが、Macの話もしている。そうすると、サッカー好きのコグレさんがMacについてどんなことを書いているのか興味を持つ人が出てくる。さらにそのブログにコメントを書く人がいて、その人は自分のブログでこんな話題を、というように広がっていくんです。こういうつながりが、商談に結びつくのではと考えたのが、私のビジネスブログの始まりです。

 小飼 僕はブログがマスメディアを殺したと思いますね。TVとかに出るようになって、ブログをまじめに書くようになったのですが、そうすると、分野によっては朝日新聞よりも僕のブログの方が影響力が強いこともある。

 四家 マスメディアを殺したというよりは、相対化したんじゃないかなぁ。

 いちる 僕はね、ブログはインターネットの地位を向上するのに貢献したんじゃないかと思うんです。例えば、“2ちゃんねる”は怖いところだというイメージがありますよね。悪い言い方をするならば便所の落書きなんて表現されることも。とはいえ、それに対抗するものがなくて、インターネットはろくなものではないというイメージもこれまではあった。それに対して、ブログがこれだけ広がって、結果的にはインターネットのイメージがよくなった。

 モダシン Joi(シックス・アパート日本法人の会長である伊藤穰一氏の通称)が、「やつらを表に引っ張り出せ」と言ってMovable Typeを日本に持ってきた。これは、面白いやつをもっと表舞台に乗せよういうことだったと思うんです。実際、それで若手の社長がブログを書いたり、プロのライターもどんどんブログを書くようになった。それまでは、新聞の記事の方が信用できると思われていたけれど、本当のプロがどんどんブログを書くようになって、ブログの方が信用できるし面白いということになったというのはありますね。

 中島ひな ホームページは、基本的なテーマがあって、そのテーマに沿った内容を更新していかなければなりませんよね。そうすると、違う物に興味を持ったり生活環境が変化したりすると続かなくなってしまうことがあります。でもブログは、変化に対応できる、そこがいいところだと思います。私はだんだんコスプレをやらなくなってしまい、今ではコスプレ以外の話題ばかりですが、読者も常に変化しているので新しい話題でもついてきてくれています。

 いちる ブログは、人が先にあって、そのなかにコンテンツやカテゴリがある。2ちゃんねるは、カテゴリがあってその中に人がいる。

 小飼 キャラクターでものを書けるようになったのは、意味が大きいですね。キャラが立つ人の方がブログでは受ける。

 いしたに ブログは続けていけばなんとかなる。逆にいえば、続けなければだめですね。マスメディアには、いまだに瞬間的にはかなわないのですが、ブログは続けることでコンテンツがたまっていく、それが結果的に大きな存在になるのだと思います。

 ブログはこの5年間で何を変え、これからどう変わっていくのか。最終回(12月22日掲載)は、ブログの未来について語り合ってもらいます。


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