麻生太郎首相の親族が経営していた旧「麻生鉱業」(福岡県)の炭坑に戦時中、外国人捕虜三百人がいたことが十八日、厚生労働省が保管していた公文書で分かった。同日の参院外交防衛委員会で、藤田幸久議員(民主党)の質問に厚労省が回答した。
藤田議員が十一月十三日の同委で、米国立公文書館で入手した資料を基に質問した際、麻生首相は「(捕虜がいたとする)事実関係も確認されていない」としていた。
藤田議員は「厚労省から資料が出てきた以上は、首相には説明責任、検証責任がある」としている。
厚労省の回答や、同省が藤田議員に提出した資料などによると、一九四五年五月から、終戦の同年八月までの間、旧麻生鉱業吉隈炭坑の捕虜収容所にオーストラリア人百九十七人、英国人百一人、オランダ人二人がいた。同年七月にはオーストラリア人二人が死亡したという記述もある。
厚労省は「旧麻生鉱業に関する資料は今回、全部提出した。炭坑内で虐待があったかどうかは、資料からは分からない。ほかの炭坑に関する資料についても要請があれば探す」と説明している。