記事登録
2008年12月18日(木) 00時00分

のんびり歩きもまた人生読売新聞


ホノルルマラソンの20キロ地点付近で笑顔を見せる前沢さん(14日、米ハワイで)

 午前5時のハワイは生暖かい風が吹いていた。空はまだ暗い。号砲とともに花火が上がる。ドーン。東京都調布市の元小学校教諭、前沢和明さん(78)は、勢いよく飛び出すランナーをよそに悠然と歩き出した。

 9回目の参加となった今月14日のホノルルマラソン。ホテルやショッピングモールが並ぶカラカウア通りを歩いて抜けると、前方にダイヤモンドヘッドが見えてくる。

 1980年。50歳を迎えた朝に走り始めた。フルマラソンに初挑戦したのは3年後。沿道の声援に興奮し、前の走者を抜き去る時には、味わったことのない快感を覚えた。元気に走る自分の姿で、がんと闘う妻を励ましたい。そう思って始めたランニングだが、走ること自体に魅せられた。

 妻が亡くなったのは90年。悲しみから逃れようと走っているうちに一層のめり込み、93年には100回目のフルマラソン完走を果たした。

 しかし、70歳を過ぎて体が悲鳴を上げた。2002年に茨城で開かれた大会。上り坂で足に激痛が走り、立ち止まった。ひざの軟骨がすり減る変形性ひざ関節症だった。

 医師にはマラソンを禁止されたが、首を縦に振ることはできなかった。どうしてこんなに走りたいのか。3人の子供に弱った姿を見せたくなかった。30年間の教員生活で「何事も途中で投げ出すな」と説き続けたことへの責任感もあった。でも本当のところは自分でもわからない。「強いて言えば足があるからかな」

 その後は大会に出ても、走っては歩き、歩いては走りの繰り返し。次第に歩く時間が長くなり、ついには全く走れなくなった。

 42・195キロを最初から最後まで、初めて全部歩いたのは3年前のホノルルマラソン。途中で日本人の参加者を見つけては話しかけた。「俺いくつに見える?」「若いんだからもっと頑張れ」。のんびりと会話を楽しみながらのマラソンも悪くはなかった。景色もじっくり眺められる。歩くことの楽しさに気づいた。

 時間制限のないこの大会にエントリーを絞るようになったのは昨年から。旅費を含む約30万円の費用は、再婚した安子さん(73)が貯金から出してくれる。その話になると、「好きなことばかりやらせてもらって……」と、前沢さんは神妙な顔になる。

 今回のタイムは9時間57分1秒。午後3時前にゴールできて胸をなで下ろした。日本をたつ前に「10時間以上かかったら引退する」と友人らに宣言していたからだ。

 ところが帰国後、この時間制限はあっさり撤回した。「来年はホノルルマラソン10回記念で、再来年は80歳記念。その次は100歳の記念をめざしたいし」。安子さんも「足の動く限り続けてほしい」とエールを送った。(大野潤三、32歳)

http://www.yomiuri.co.jp/national/deai/deai081218.htm