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2008年12月17日(水) 00時00分

夫の愛したバー 守り抜く読売新聞


店に立つ正子さん(左)。酒場に関する著作の多い作家の森下賢一さんも常連客の一人だ

 故人の好きだったフランク・シナトラの歌声がホールに響く。

 先月22日、東京都心のホテルで、ひとりのバーテンダーをしのぶ集いがあった。1998年に66歳で亡くなった田中達也さん。今年、開店50周年を迎えた銀座のバー「蘭(らん)」の元オーナーだ。

 「お陰さまで夫の願いを果たせました」。現オーナーで妻の正子さんが穏やかな口調であいさつした。参加者は店の常連客。夫のもう一つの素顔を教えてくれた人たちだ。

 「もう少し話がしたかったです」。10年前。喪服姿の正子さんは、がんで亡くなった夫のひつぎに、ボールペンでそうつづった便せんを入れた。

 達也さんは大学卒業後、生命保険会社に就職したが、「性に合わない」と退職。数寄屋通り沿いの小さなビルの2階に蘭をオープンさせた。58年。東京タワー誕生と同じ年だった。

 68年、正子さんが客として訪れたのをきっかけに二人は出逢(であ)い、1年後に結婚した。

 小学6年で母親を亡くした正子さんは、温かい家庭を夢見ていた。自分は専業主婦におさまり、家族みんなで食事をしたり、買い物に出かけたり。しかし、現実は違った。

 夫は毎夜、蘭を閉めた後も客と一緒に別の店に飲みに行く。帰宅はいつも夜が明けてからだった。

 長女の2歳の誕生日に日比谷公園で写真を撮った。「これから毎年ここで祝おう」。そう言ってくれたのに、家族で日比谷公園に出かけたのは、それが最初で最後だった。

 一度だけ「きょうは何時にお帰りなの?」と聞いたことがある。返ってきた言葉は「男には付き合いがある」。割り切れない思いを抱えて30年近くを共に過ごした。

 結婚後、正子さんが店に顔を出すことはほとんどなかった。むしろ店が憎いとさえ思っていた。だが、夫の死後は、生活のため、自分が店に立たなければならなくなった。

 店にいると、夫のいろいろな話を聞かされる。「客がいる限り店を閉めない。いつも客が第一だった」「隣の客に暴言を浴びせ続ける男の襟首をつかんで、外につまみ出した」「居心地のいい雰囲気を作る名人だった」……。

 気がつくと、結婚以来の欠落感が埋まっていた。夫が打ち込んだ仕事の醍醐(だいご)味も理解できる。そう思えるようになったのは、夫が旅立って6年ほどが過ぎた頃だったろうか。

 亡くなる直前、夫は常連客を集めたパーティーを企画していた。その遺志をかなえたい。そんな思いから開いた集いには80人が参加してくれた。

 「店を守ることが今の私の生きがいなの」。そう語る正子さんだが、悔いがないわけではない。生前に「一緒にやろう」と声をかけてくれていたなら。あるいは自分から店に足を運んでいたならば……。(加納昭彦、31歳)

http://www.yomiuri.co.jp/national/deai/deai081217.htm