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2008年12月15日(月) 00時00分

寅さんも見守ってくれる読売新聞


「おばあちゃんが手紙を持って行ってくれたところから、全部始まったんです」。渥美さん(中央)、八千代さん(右)と撮った写真を前に善夫さんは語る

 もう何度、その温かい声を聞いたことだろう。

 「僕は寅さんの映画に出ているおじさんです。善夫(よしお)君は元気でやってますか?」

 書き入れ時の師走を迎え、競り人のかけ声が威勢良く響く東京・築地市場。敷地内の定食屋「とんかつ八千代」で両親と働く石塚善夫さん(41)の宝物は、渥美清さんから贈られたカセットテープだ。

 生まれてすぐに脳性マヒと診断された善夫さん。両手が不自由で言葉もスムーズに出ない孫を、祖母の八千代さんはいつもそばに置いて面倒をみた。夫の戦死後、とんかつ八千代を一人で切り盛りし、市場の荒くれ男も平気でしかり飛ばした肝っ玉おかみ。だが、善夫さんに声を荒らげたことは一度もなかった。

 仲良しの2人にとって一番の楽しみは、松竹映画「男はつらいよ」を見ることだった。「人情があって、楽しくて。おばあちゃんも僕も大好きだった」と善夫さんは言う。

 「寅さんにファンレターを」。そんな孫の願いを聞き、八千代さんが渥美さんあての手紙を持って松竹に乗り込んだのは、善夫さんが小学6年の時。気おされたのか、プロデューサーが「必ず渡します」と言ってくれた。カセットテープは手紙への返事だった。

 テープの渥美さんは自身も体が弱かったと明かし、「おじさんも映画やテレビに出る時、善夫君のことを思い出します」と約束する。「渥美さんも体が弱かったなんて初めて聞いて……。うれしかった」。善夫さんは振り返る。

 八千代さんに連れられ、初めて楽屋を訪ねたのは中学生の頃。以後、映画の公開初日には必ず2人で会いに行くようになった。「撮影所にもよく来てくれてね。いつの間にか、すっかりなじみになっていた」と山田洋次監督は語る。

 1996年8月、渥美さんが死去。半年後に八千代さんも80歳で亡くなった。「善夫のことが心配なんだ」が最後の言葉になった。

 それから12年。テープの渥美さんのこんな声を、善夫さんは繰り返し聞いてきた。「僕のことをいつも心配してくれたお袋も、もういません。でも体を大切にして一生懸命生きています」「僕の体のことだけを家族は心配してくれました。だから僕が自分の体を大切にすることは、家族を大切にすることだと思っています」

 体が不自由だと、悔しいこともたくさんある。自立しようと働き始めたコンビニでは「まじめにやっていない」と誤解され、1週間でクビになった。言葉のやり取りがうまくいかず、飲食店への入店を断られることもしばしばだ。

 自信を失いそうになった時にはテープを聞く。自分を大切にすることはおばあちゃんを大切にすること——。渥美さんの言葉は祖母への思いと重なり、自分を支えてくれる。(岩永直子、35歳)

 2008年も残りわずか。この1年間、街を歩いてきた社会部の記者たちには、数多くの出逢(であ)いがありました。その中から、とっておきの人模様をお届けします。

http://www.yomiuri.co.jp/national/deai/deai081215.htm