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2008年12月14日(日) 13時58分

アレクシー2世死去でロシア正教はいま 改革派聖職者ヤクーニン氏に聞く産経新聞

 旧ソ連末期の1990年からロシア正教会のトップ、総主教を務めていたアレクシー2世が5日に死去した。この18年間、ロシア正教会はソ連共産主義が建前とした無神論の呪縛(じゅばく)から解放されてめざましく復興。信者数は着実に増え、各地にはおびただしい数の聖堂が建設された。他方、160以上の民族が暮らす多民族・多宗教国家にあって政権と教会が密着、正教会が事実上の国教と化した現実には政教分離の観点から批判がある。ロシア正教会とアレクシー2世について、同正教会を追放された改革派聖職者で元下院議員のグレプ・ヤクーニン氏(74)に聞いた。(モスクワ 遠藤良介)

 −−アレクシー2世の果たした役割はどんなものだったか

 「残念ながら、否定的にとらえざるを得ない。アレクシー2世はロシアに民主改革が始まったころに正教会のトップに就いた。私たちは多くのことを彼に期待したものの、結局、正教会は70年間の共産党支配を経て改革されることがなかった。たしかに、公式統計によれば、正教信者は人口の7割近くに達している。しかし、犯罪や汚職、エイズの増加、他の道徳的な問題と正教が真剣に向き合っているといえるのか」

 −−それでも、救世主キリスト聖堂の周りには葬儀に先立って何日間も人の列が絶えず、何十万もの人が総主教の亡きがらに別れを告げた。ソ連崩壊後、イデオロギーを失った人々が正教会を精神的なよりどころとした面もあるのではないか

 「残念ながら、それはアレクシー2世自身というよりも、長年にわたって彼のイメージをつくったテレビの功績だと言わざるを得ない。(ロシアの報道・言論統制の実態があれば)いかなる人だって宗教のリーダーに仕立てることができる。故人は伝道者として何ら傑出していたわけではない。私たちはテレビ画面を通じて長たらしいきらびやかな礼拝ばかりを見てきた。それによって私たちの想像力はかき立てられるだろうが、本物の信者になれるわけではない。今の正教は儀式の力を借りた魔術のような信仰に堕し、神の言葉を普通の民衆に伝えることを完全に忘れている。だからこそ、そのことを忘れていない他の宗派、たとえばプロテスタントとの競争では引けをとることになる」

 −−アレクシー2世の行動力のおかげで数千もの聖堂が建立されたともいわれているが

 「誰が彼の座にあったとしても同じだっただろう。エリツィン元大統領もプーチン前大統領(現首相)も、国内の信者の支持を必要としたし、自分が民主主義的なリーダーであることを誇示する必要があったからだ。ちなみに、エリツィン氏は十字の切り方を知らず、礼拝では右手で持つべきろうそくを左手で持つありさまだった。私はかつて、エリツィン氏に教会改革を提言したものの、結局、軍など他の改革と同様、計画のままに終わってしまった。彼は結局、『信者と教会は私を支持している。それで十分』という論理だったのだ」

 −−プーチン前大統領も愛国心高揚の一環として正教信仰を推進した。今や主要な礼拝にプーチン氏をはじめ政権幹部が出席、それを政府系テレビ局が一斉に中継する。政権との蜜月関係はどのようにして生まれたのか

 「正教会は当初、(ソ連崩壊期に実権を握った)民主派を恐れていた。というのも、私がこれまで明らかにしたように、アレクシー2世を含む高位の僧侶とソ連国家保安委員会(KGB)の間には協力関係を示す多くの事例があり、教会は(民主派によって過去が暴かれ)名誉を棄損されるのを恐れたのだ。しかし、その後は少しずつ、国家は教会と協力したがっているのだと気づき、このことを利用するようになった。国内では教会権力強化のプロセスが始まり、教会は内務省や軍などの国家機関と(礼拝堂を各施設に建立していくとの)数多くの合意を結んだ。もっとも、軍では、参謀本部が(世俗と宗教権力への)二重従属を恐れたために礼拝堂建立が進まなかったが」

 −−学校の現場にも正教教育が浸透し、他宗教との摩擦の種になっていることは本紙も報じてきた。他にどんな問題があるか

 「1997年に『信教の自由と宗教団体に関する連邦法』(宗教法)が改正され、これによって正教会はきわめて大きな特権を得た。(ロシア正教の『特別な役割』を明記した)この改正法は、ロシアを世俗国家とし、すべての宗教の平等を規定したロシア憲法に違反している。しかも、このことは正教会の汚職体質を強めることにもなった。次期総主教の有力候補とされるキリル府主教(ロシア正教会の対外責任者)などは、慈善事業を隠れみのにしてたばこや酒を大量に輸入、割引関税の制度を利用して荒稼ぎし、新聞から『たばこ府主教』との異名をつけられたこともあった。教会内で要職の地位が売買された多くの事例も知られている。今や正教会はすべてのレベルで権力の支持を受けた一種の「乗っ取り」組織と化しており、(正教の異論派である)『ロシア正教自治教会』はさまざまな手段で聖堂を奪取されている。このことについてはプーチン大統領(当時)に(人権弾圧だとの)陳情書を出した」

 −−アレクシー2世の時代に組織面でのロシア正教会はどう変化したか

 「多くの人はアレクシー2世が宗教的に中道の人だと考えているようだが、実際には正教会の保守派を代表する人物だ。彼が廃止した『地方宗教会議』は、政党における党大会のようなもので、物事を民主的に決める場だった。モスクワ総主教区は、全体主義組織のように正教会を支配するようになり、総主教に対する独特の個人崇拝すら生まれた。彼の誕生日や『名の日』(ロシア正教の暦では、どの日にも各人の名に対応する聖者・守護神名が割り当てられている)は宗教上の祝日かのように祝われ、正教会はアレクシー2世がどのような花を受け取ったとか、どれが一番気に入ったとかについておびただしい情報を流した」

 −−アレクシー2世は旧ソ連圏でのカトリック教会の布教に強く反発し、前ローマ法王ヨハネ・パウロ2世の訪露は実現しなかった。カトリックとの関係改善は進むだろうか

 「モスクワ側はカトリックをライバルだと考えており、関係は複雑なものであり続けるのではないか。また、カトリック側にもロシアではあまり可能性がない。ひょっとしたら、ごく一部のインテリや(帝政時代に入植するなどした)ボルガ川沿岸地方のドイツ人がカトリックに同調するかもしれないが」

 −−次期総主教の候補者として保守派から革新派まで4人の名前が取りざたされている。誰が最有力か

 「すべては神の手の中にある。アレクシー2世の葬儀を取り仕切ったキリル府主教には健康問題があるとの情報がある。もしこの人物がレースから外れるなら、状況は全く読めなくなり、教会分裂の波乱すらあり得る」

■グレプ・ヤクーニン氏

 1934年生まれ。62年に聖職者に任じられる。KGB(旧ソ連国家保安委員会)による宗教弾圧を告発するなど人権擁護活動に取り組み、80〜87年には反ソ扇動罪で投獄・流刑された。90年に人民代議員に選出され、91年に名誉回復。資料をもとにKGBに協力していた聖職者について公表するなどし、93年にロシア正教会から追放された。93〜95年に下院議員。人権団体「モスクワ・ヘルシンキ・グループ」メンバー。

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ニコライ日記を寄贈 日本側から露の修道院に

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