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2008年12月14日(日) 12時27分

長野「心は巨人」だが…2度の入団拒否でも道は厳しく産経新聞

 ロッテからドラフト2位で指名を受けたホンダの長野(ちょうの)久義外野手(24)が入団を拒否した。長野がプロ入りを拒否したのは、日本ハム入団を拒否した2年前に続いて2度目。いずれも巨人入りを熱望しての決断だった。来年、巨人が長野を指名する保証はないが、あえて厳しい道を選択した。

 批判を受けるのは承知の上での決断だった。12月5日。長野はホンダ残留を正式に表明した。素顔は、明るく礼儀正しい青年の目は充血し、表情は険しかった。

 「本当に悩んだが、社会人でもう1年という思いが強かった。巨人を捨て切れなかった? それもあります」

 巨人への思いを正直に打ち明けた。ロッテは長野との交渉打ち切りを表明。獲得を事実上、断念した。

 10月30日のドラフト会議。ロッテは巨人入りを熱望する長野の強行指名に踏み切った。会議後、バレンタイン監督が自ら指名あいさつのため、埼玉県狭山市の同社野球部合宿所に足を運んだが、長野は「心の整理がついていない」と面会を拒否。それでも一時は「気持ちは半々」と軟化していた。

 だが、ロッテの指名あいさつが実現した11月24日、長野に笑顔はなかった。「ロッテでプレーするイメージ? まだないです」。ロッテは最高条件の契約金1億円プラス出来高払い5000万円、年俸1500万円(推定)を提示したが、すでに長野の腹は決まっていた。

 社会人野球日本選手権の初戦(11月16日)で、ホンダはまさかの敗退。ドラフト会議のショックからか、長野は無安打に終わった。数日後、同社野球部の安藤強監督から熊本行きの航空券を渡され、旅立った。「南阿蘇の大自然の中で、原点に戻ってもう1度やろうと思った」。巨人のユニホームを着るという小さいころからの夢を思いだした。

 安藤監督は巨人の原監督と同じ東海大野球部OB。さらに、安藤監督の同校野球部時代の1年先輩が巨人のスカウトをしているという人間関係もある。しかし、長野は「僕自身が(残留を)決めた」と話した。

 長野は2年前にも日本ハムにドラフト4巡目で指名されたが、入団拒否している。2年前のドラフト制度は、高校生と大学生・社会人に別れていた。大学生・社会人ドラフトでは選手が球団を逆指名できる希望入団枠もあった。もし、2年前の制度なら、長野が意中の球団を逆指名できた可能性は高い。安藤監督は「不運だったと思う」と思いやった。

 ただ、裏金問題の解決策として希望入団枠が撤廃され、現行の制度になったことは無視できない。長野の指名後、バレンタイン監督は「これは、ドラフト会議だ。球団側が指名する形で、選手が球団を選択して決めるのではない。巨人も長野を指名するチャンスはいくらでもあった」と強い口調で話した。事実、巨人は長野を1位で単独指名できた。だが、1位指名は、長野と同じ右打者の大田(東海大相模)だった。

 今後、巨人が確実に長野を指名するとはかぎらない。長野は来年、ロッテと日本ハムの指名を認める承諾書にサインする可能性も口にした。プロの投手の球に慣れるためにも1年でも早くプロ入りした方が得策ではある。「不安はあるが、それも運命だと思う」。入団拒否を表明した翌日の12月6日。長野は誕生日を迎えて24歳になった。(神田さやか)

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