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2008年12月13日(土) 22時13分

不死鳥の異名 スピードシンボリ、史上初の連覇産経新聞

 古馬8歳までターフを沸かせ、不死鳥の異名を持つスピードシンボリ。主戦として2度の海外遠征でも手綱を取った「ミスター競馬」こと故・野平祐二氏は「ボクが騎乗した最初で最後の名馬」と評したほどだ。

 その真価は、5度目の出走となり、史上初の2連覇を成し遂げた1970年の有馬記念で発揮されたといっても過言ではない。

 この年、スピードシンボリは宝塚記念を勝ったものの、その後3連敗し「老いた。もう限界」とささやかれた。それを物語るように有馬では3番人気に評価され、1番人気は前年2着の惜敗の雪辱を期す5歳馬のアカネテンリュウに譲った。

 レースは予想通り、ハクエイホウが先頭に立ち、スピードシンボリは最後方に置かれた。ただ向こう正面での差は5〜6馬身。「先頭を行くハクエイホウがすぐ目の前に見えるほど差はない。うまく内が開いてくれれば勝てる自信があった」と野平は振り返る。

 思ったように3コーナーで前が開くと、インコースを突いて進出した。野平は「早いかもしれない」と一瞬の躊躇(ちゅうちょ)したが、勝負所を見逃さなかった。最後の直線の入り口で先頭に立つと、真骨頂の「我慢強さ」を見せ、猛追するアカネテンリュウ、同年の菊花賞馬ダテテンリュウを退けた。

 首差に泣いたアカネテンリュウの丸目敏栄騎手は「4コーナーでインコースが開かないと思い、外へ持ち出した。結局、ゴール前で内を通ったスピードシンボリと外を回ったボクの馬との差が出てしまった」と悔やんだ。野平の絶妙な手綱さばきも手伝って、見事、引退の花道を飾った。

 詰め掛けた12万7221人が名勝負に沸き、売り上げは約71億1334万円に伸びた。ともに有馬で最高を記録した。

 胴長、脚長と典型的なステイヤー体型のスピードシンボリは、キャリアを重ねるごとに成長。国内で4勝し花開いたのは5歳になってから。その5歳時には米国遠征(5着)し世界に挑戦した。7歳時には欧州遠征で凱旋門賞(19着)などを経験、自らの成長の糧にした。その血脈は7冠馬シンボリルドルフへと引き継がれていった。

 ■スピードシンボリ 父ロイヤルチャレンヂャー、母ストーンイン(母の父ライジングライト)▼成績は39戦17勝▼主戦騎手=野平祐二▼主な勝ち鞍=天皇賞・春、宝塚記念、有馬記念(1969、70年)。最優秀5歳以上牡馬。1990年、顕彰馬に選出。種牡馬として成功したとは言い難く、母の父として7冠馬シンボリルドルフを送り出した。

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