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2008年12月13日(土) 14時54分

HIVは金融危機を待ってくれない エイズ治療研究者 稲田頼太郎博士に聞く産経新聞

 □コロンビア大学附属セントルーカス・ルーズベルト病院リューマチ研究室部長

 エイズ治療の研究者として知られるニューヨークの稲田頼太郎博士は1993年、同僚のマイケル・ラング博士とともにイナダ・ラング・エイズ財団(ILFA)を設立した。日本の医療関係者をニューヨークに招き、米国のエイズ診療を体験してもらう研修プログラムを実施するためだ。研修を受けた医師、看護師、検査技師、薬剤師らの多くがいま、日本国内でエイズの診療や研究に取り組んでいる。

 稲田博士はさらに、研修プログラムで培ったネットワークを国際的なエイズ対策に活用し、ケニアの首都ナイロビ郊外で年2回、日本の医療関係者がボランティアで参加する短期の診療キャンプを開いている。

 エイズの流行が深刻なサハラ以南のアフリカ諸国でいま、薬剤耐性ウイルスの拡大がエイズ対策の大きな課題の一つ。治療薬の普及に伴い、エイズの原因となるHIV(ヒト免疫不全ウイルス)の中に薬の効かないウイルスが広がり始めているのだ。服薬の失敗が原因と考えられている。

 薬剤耐性HIVの流行は途上国だけでなく、いずれ先進国にも打撃を与えることになる。8年間15回にわたる診療キャンプの経験から、そう判断した稲田博士は、来年春から常設のオフィスをナイロビ郊外のスラムに開設、薬剤耐性HIVの出現防止に向けた新たなプログラムに取り組む。その結果は、HIV陽性者が効果的な薬剤の恩恵を受けることにつながる。

 折からの金融危機でプログラム実施のための資金確保は困難を極めているが、ウイルスは世界が金融危機から回復するのを待ってくれるわけではない。


 −−イナダ・ラング・エイズ財団がケニアで無料診療を開始したのは2000年でしたね。

 2000年7月に南アフリカのダーバンで第13回国際エイズ会議があり、帰りにケニアに寄りました。日本のエイズ診療体制もかなり整備され、研修プログラムは一定の役割を果たしたので、その蓄積を生かし、アフリカでできることはないかと考えました。


 −−ナイロビ郊外で診療を始めるわけですね。

 毎回2週間程度ですが、かつて研修を受けてもらった日本の先生方と年2回、ナイロビを訪れ、診療を行います。私は医師ではないので、キャンプの運営全般を担当しています。


 −−どんな診療ですか。

 はじめの目的はHIV感染を防ごうという予防プログラムですが、まず村の人たちとの信頼関係がなければ何もできない。無料で一般の診療や健康相談を実施し、そこで「どうだい、エイズの検査はただだけどやってみないか」と話す。当時はまだ、情報も行き渡っていないし、検査にお金がかかるので受けない人がたくさんいた。そういう人たちが、無料なら、とたくさん来ました。そのうちに陽性者が見つかり始める。ところが薬がない。


 −−HIV/エイズ治療の普及はまだでしたか。

 ケニアでエイズ治療薬が無料で提供されるようになるのは06年ごろです。それまでは薬が手に入らず、予防や予後の改善のための指導しかできません。次への感染を防ぐことに力を入れざるを得ませんでした。


 −−06年ごろから状況が大きく変化した?

 薬が無料で提供されるようになると、「それなら」と検査を受ける人も増えてくる。そうすると当然、感染が判明する人も増える。我々は薬が出ることを予想して、インフラを作ろうとしていたのですが、その体制が整わないうちに状況の変化があった。年2回のキャンプではとても対応できません。検査を続けていると服薬の失敗例が増えてくるのが分かりました。


 −−途中で治療を止めてしまうのですか。

 結局は貧困に起因することですが、今日、食べるお金が大事だから、仕事を休んでまで薬を取りには行かない。あるいは薬を取りに病院に行くとバス代がかかるので、行かなくなる。医療従事者からきちんと服薬が続けられるような指導を受けられないことも多い。調べていくと、初めて感染が分かった人がすでにウイルスの耐性株を持っているケースもある。まだ薬をのんでいない人なので、すでに失敗した人から感染したということになります。


 −−最初から薬の効かないHIVが流行している?

 HIVにはいくつかサブタイプがあるのですが、そのうちのB型は従来、アフリカには見られない株でした。A、C、あるいはD型がメインのはずなのに、ケニアでも04年ごろからB型が見られるようになった。外国から入ってきたか、外国でもらってきたか、ということですね。そのB型についても、3分の1から4分の1は耐性株でした。


 −−B型はどこで流行しているウイルスですか。

 主にアメリカ、ヨーロッパです。ウイルスが入ってきたということは、出て行くこともあると考えなければならない。冷戦の終結以降、地球規模で人の移動が活発になっているので、ケニアで耐性株の流行が広がれば、今度は外に出て行く可能性もある。


 −−先進国の耐性株がケニアで広がり、また先進国に戻って行く。

 そういうことです。ケニア一国の問題ではない。500億円も600億円もかけて開発した薬も効かなくなってしまう。途上国の現実に無関心でいれば、先進国も結局、しっぺ返しを食うことになります。エイズの逆襲ですね。システムのない、インフラのないところに薬が出まわれば、こういうことは当然、考えられる。知的財産権を盾に製薬会社が薬を出したくないと主張した理由の一つはそれだったのでしょう。でも、人道的には出さざるを得なかった。すでに現実に起きていることには対応しなければなりません。


 −−状況の変化によりプログラムの使命も変わってくるわけですね。

 我々の診療は最初、HIV感染の予防を念頭に置いていたのですが、HIV陽性者を対象にした診療日も設ける必要が出てきた。5日間くらい一般の診療をして、3日か4日は陽性者の診療もする。薬がきちんとのめているか、ウイルスは変異していないか、そうしたことを調べる。効かないのにのんでいるのでは意味がない。06年ごろから、そうしたアドバイスを始めたわけです。ケニアで投薬できる立場にはないので、病院に紹介状を書いたり、情報を提供したりするのですが、ここでネックになるのは、我々の存在自体がケニアで公的に認識されていないことでした。


 −−病院で紹介状を見せても、何しに来たんだといった感じですね。

 そうそう。何だ、この紙は、こんな奴しらないぞと言われてしまう。確かに僕の署名をして、こういう状態だと説明しても、会ったこともないような人からの手紙など相手にしてくれない。そこで、最近のキャンプでは、公的に我々の立場を認めてもらうため、政府から人を派遣してもらい、キャンプの視察を行うなど公共性を持たせる活動にも力を入れてきました。


 −−一つ一つ積み上げていくわけですね。

 現地に施設がないと患者は利用しにくいという問題もあります。10円、20円のバス代もない人たちは、体の調子がおかしいと思っても駆け込み寺的なものが近くになければ行けません。患者と薬を投与できる医療機関との間に立つような機能を果たす施設が必要なので事務所を構えようということになりました。それもスラムの中にね。事務所を構え、病院との間の公的関係が確保できれば、患者は十分にフォローできる。そのフォローに失敗しているから、患者は服薬に失敗する。そこを我々の手で何とかできるのではないかと考えています。


 −−そうした活動は人手がかかりそうですね。

 治療を受けて元気になったHIV陽性者が担当するようにできれば、逆にケニアの雇用確保にもつながるし、耐性株が外に出ていかない状態を作ることにもなる。結核の治療ではDOTSといって患者の服薬を直接確認して治療を進める方法があります。エイズの治療でも、服用の継続が困難そうな人にはそうした方法を導入する必要がある。患者に薬を届け、目の前で服薬を確認する係を作り、元気になった患者が担当できるようにすれば、少しでも雇用が増えます。


 −−それで生活を維持できる人も出てくる。 

 患者をケアすればお金になる。患者をいじめたら損をする。そうなれば偏見、差別も減っていきます。我々がケニア全体の仕組みを作ることはできないにしても、小さな村なら、こういう人が必要で、こんな役割の人もいるといいねといったモデルを提示することはできると思っています。


 −−小さな村のプロジェクトですね。

 そうです。ナイロビから道路が空いていれば車で10分ぐらいのところで、都心の20階、30階建てのビルの街並みが見えるエッジのあたりの村です。まあ、歩いてなら何とか町まで行けるくらいのところにたくさんの人が住み、そこがスラム化しているわけです。


 −−病院にも歩いて行こうと思えば行ける?

 それはバスに乗らなければ大変でしょうね。病院に行っても、医療従事者に十分な知識がないので、我々から見るとお粗末な診療をしていると言わざるをえない現状もあります。いったん始めたら、同じ薬をい続けなければいけないと言われ、副作用がひどくても止めさせてくれないとか、他の薬に変えてくれないとかね。確かに薬の組み合わせの選択肢は少ないけれど、副作用が出ているものを続けろといっても続けられない。CD4(免疫細胞の一種)やウイルスの量がまったく測れない状態もある。そうすると、いつ薬を始めるか、あるいは薬が効いているのかといった判断がまったくできないので、何がなんでも、のんでなければダメだという押しつけになってしまうのです。


 −− 結局、それでは続けられない。

 具合が悪くなってから、じゃあこれはだめだというのでは遅すぎるんですよ。我々が患者と病院との間に入って検査をし、その情報をもとに病院に手紙を書いて、こうだから薬を変えてくださいと伝えられれば、医療従事者の方もこういうすべきなのかということが分かってくる。中間の架け橋的要素の施設が必要なのではないかと思います。


 −−オフィスに常駐する人が必要ですね。

 軌道に乗るまでは、経験者が継続的にそこにいる必要があります。10年か、5年かは別にして、ある程度のインフラができ、モデルが確立するまでは、指示を出したり、運営したりする人が常にそこにいなければならない。そうしたプロジェクトを準備し、資金集めをしているところです。


 −−新しいプロジェクトに必要な費用はどのくらいですか。

 3年間の費用はミニマム(最小限)で4500万円ぐらい、年間だと1500万円くらいです。検査に必要な機械などの購入費も含め施設を充実させるには3年で1億円ぐらいかかりますが、機械などは当面、がまんして最小限の体制でスタートする。走りながら必要性に応じて整えていこうと考えています。


 −−寄付はどんなところに呼びかけていますか。

 製薬会社が中心です。少なくとも3年間はサポートしてくださいとお願いしています。3年で現地発信ができるだけの活動の基盤を作り、それ以降はその実績をもとに助成金の申請をしていきたい。目標額にはもう一息です。すでに寄付を約束していただいているのは、米国が4分の1、日本が4分の3くらいでしょうか。金融危機でここにきてパタッと止まってしまいました。


 −−最近はアフリカの新規感染が減ってきたとも最近は言われています。

 確かに感染率は下がっている。我々が2000年に最初に入ったときには、村の平均感染率は35%、いまは12%ぐらい。我々の活動の成果だけとは言わないけれど、明らかに予防のプロジェクトとしては成功していると思います。しかし、これから感染者のケアをしないと、しっぺ返しを受けるでしょう。何かができる間に始めておかないと、手の施しようががなくなってしまう。いまならまだ、患者を失わないようインフラを作ることができます。現地の人を雇い、現地の人を教育していくことになる。トタンの屋根にトタンの壁といった建物ですが、そのための施設も借りることができ、第一歩をようやく踏み出したところです。


 −−日本の医療関係者は協力してくれるのですか。

 研修を受けた先生たちの集まりで、頼好会(よりごのみかい)というのがあります。例えば岩手県出身の人が東京でHIVに感染していることが分かり、地元で治療したいといったケースがあるとします。それなら稲田のところで研修を受けたA先生が岩手にいるからそこでお願いしようとかね。そうしたネットワークのための会が、いまはケニアにボランティアで来てくれる先生のネットワークになっています。変な言い方をすれば、かつて無心で蒔いた種が育ってケニアのプロジェクトも応援してくれるようになりました。


 −−研修プログラムがスタートしたのは何時でしたっけ。

 93年です。100名を超える人が受けています。そのすべてがいま、エイズ診療をやっているわけではありませんが、中心になっている先生方は拠点病院の副院長になったり院長になったりしている。ケニアにも自分で行くだけでなく、若い医師や医療従事者を出してくれることもある。それがまた、経験として受け継がれていくわけです。


 −−研修の場がニューヨークからケニアに移ったような感じですね。

 そうですね。エイズに関しては、HIVの先手、先手を打っていくように考えないと間に合わない。研修だって誰も来ないような時期に始め、薬が出る96年くらいから、うわあっと増えたじゃないですか。


 −−私も当時、ニューヨークで取材をしていましたが、本当にそうでした。

 前からプログラムがあったから、何とか対応できたんです。この病気に関しては、症状が出てからではなく、元気なうちに治療を開始する必要がある。それと同じですよ。活動もインフラを作るのも、分かってからでは遅い。待っていたのでは遅れてしまいます。


 −−そもそも米国でエイズの流行に気がついた時がそうでした。ニューヨークのゲイコミュニティではもう半数が感染していた。

 HIVの抗体検査が可能になった83年に、さっそくパリのパスツール研究所に保存血液を送りました。今年のノーベル医学生理学賞を受賞したリュック・モンタニエ博士、フランソワーズ・バレシヌシ博士のところですね。保存血液自体はゲイコミュニティの肝炎対策で80年に採取したサンプルでしたが、その50%が陽性でした。流行に気がついたときに見えていたのは氷山の一角です。いまケニアに出ているデータにももっと深いものがあるはずで、検査ができないから判らないだけでしょう。


 ■稲田頼太郎博士 コロンビア大学附属セントルーカス・ルーズベルト病院リューマチ研究室部長

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