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2008年12月13日(土) 11時54分

知られざるハッジ メッカ巡礼に最高の300万人産経新聞

 「ハッジ」。世界中のイスラム教徒にとり一年で最も重要な時期が訪れた。サウジアラビアにある聖地、メッカへの巡礼だ。五つある教徒の義務のひとつで、太陰暦であるイスラム教の暦、ヒジュラ歴で12月の上旬から中旬に行われる。今年は西暦でもほぼ同じ時期にあたり、多くの教徒が立錐の余地もない熱気の中で定められた儀礼を終え、また新たな年を迎えることになった。

 巡礼はイスラム教の聖典、コーランに根拠が記され、信仰告白、礼拝、喜捨、断食と並んで教徒の義務とされる。巡礼には3種類があり、義務は「ハッジ」だけで、一般にイスラム教の巡礼を指す。ただ、義務とはいえ、メッカへの移動には体力が必要で、旅ができる者に課せられている。財力も同様で、借金がなく、巡礼中に残された家族の生活を維持できることが巡礼を行う資格とみなされる。

 資格のある教徒は事前に巡礼を行う意思を明言して準備に入り、日程に間に合うようにメッカへと出発する。所定の場所で巡礼服に着替え、巡礼に来たことを告げる言葉を唱えながらメッカに入り、カーバ神殿と呼ばれる石造りの黒い立方体の神殿のある聖モスクに赴く。そこで神殿の周りを、円を描くようにして反時計回りに7周する儀礼を行う。

 この儀礼を「タワーフ」という。伝承で、神の玉座の下には天使が回っている館があるといわれ、同じ物を地上につくって、その周りを回るように命じたことが始まりという。これを終えると、所定の場所で礼拝を行い、モスク内の泉の水を飲む。その後、モスクの一角に組み込まれた2つの小さい丘の間を7回行き来する儀礼を行う。早くメッカに入った者はメッカ郊外へと移動する日までこれらの儀礼を繰り返す。

 巡礼が最高潮を迎えるのは、メッカの東へと移動し、アラファトの原野に入ってからだ。山の頂に日没までとどまり、これまでに犯した罪を悔い改めて、神に祈りをささげる。教徒はメッカとの間にあるメナの谷からアラファト山にかけて原野にテントを張って滞在する。これを「ウクーフ」といい、ここでの儀礼を終えなければ、巡礼を完遂したとはみなされないとされる。

 アラファト山はイスラム教の預言者、ムハンマドが1400年以上も前に最後の説教を行った場所といわれ、「慈悲の山」とも呼ばれる。白装束の巡礼服姿の教徒らが続々と山を目指す傍ら、いまではバスで訪れる教徒も多いようだ。

 教徒らはさらに滞在して投石の儀礼を行う。所定の場所に設置された3本の「悪魔の石柱」に向けて7個の石を投げるもので、アラファト山から下る途中に石を拾い集める。これを終えて教徒はメッカに戻り、再びカーバ神殿の周りを回る儀礼を行う。教徒によってはメジナにある預言者の廟に詣で、最終的に巡礼の日程をすべて終え、メッカを後にする。

 一連の巡礼は預言者のムハンマドがかつて死の直前に行った「別離の巡礼」が模範になっている。それから1400年近くたって、教徒も儀礼を完遂するのは容易ではないようだ。現在は、遠方から不慣れなメッカの土地に来た教徒のために「巡礼案内人」が配置され、複雑な儀礼のやり方を指導しているという。

 一方、現代では、過去の歴史とはまた違った意味合いで宗教間の対立が厳しくなっている。今年の巡礼では、期間中に米国に端を発した金融危機にイスラム教の指導者も矛先を向けた。フランス通信(AFP)によると、指導者はモスクでの説教で、「神のおきてを無視し、イスラムで禁じられた利息を取る行為を行ってきたことが原因だ」と語り、キリスト教の欧米での資本主義経済を批判した。

 現代の巡礼では、安全に儀礼を行う環境をつくることにも神経を使っている。とくに、投石の儀式では、殺到した教徒らが将棋倒しとなる事故が多発するようになり、1990年に1426人、2004年に251人、2006年には364人の死者が出た。そのため、サウジアラビアの当局は高さの異なる3つの橋を投石用に設置する対策を行ったという。

 それ以外にも巡礼の各所に監視カメラを設置して、警察当局が集中監視室でモニターを通じて警戒にあたっている。

 伝統を重んじるイスラム教の世界にあってもいまや過去と現在が交錯するようになった最大行事のハッジ。今年の巡礼に訪れた教徒は過去最高の300万人と推定され、存在感を増しつつあるイスラム世界の勢いを感じさせている。(蔭山実)

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