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2008年12月08日(月) 12時05分

ホンダはなぜF1から撤退するのか?——社長会見を(ほぼ)完全収録Business Media 誠

 本田技研工業(ホンダ)は12月5日、13時30分から本社で行った緊急会見でF1レース活動からの撤退を正式に表明した。モータースポーツ担当の大島裕志常務とともに会見に臨んだ福井威夫(ふくいたけお)社長は「自動車業界は新しい時代に入った」と強調。F1に投入していた人材や資金は、新商品や新技術の開発に振り向けると語った。

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 以下、福井社長が冒頭に行った会見内容を紹介する。

●ビジネス環境が急速に悪化

 私どもホンダは、この度、2008年をもってF1レース活動から撤退することを決定いたしました。

 サブプライム問題に端を発した金融危機と、それらに伴う信用危機、各国に広がった実体経済の急速な後退により、ホンダを取り巻くビジネス環境は急速に悪化してきています。当面の世界経済は不透明さを増すばかりであり、回復にはしばらく時間がかかることが予想されます。

 ホンダはこの急激かつ大幅な市場環境の悪化に対し、迅速かつフレキシブルに対応をしてまいりましたが、将来への投資も含め、さらに経営資源の効率的な再配分が必要との認識から、F1活動からの撤退を決定いたしました。今後の「Honda Racing F1 Team(HRF1)」、英国でエンジンの供給を行ってきました「Honda Racing Development Ltd.(HRD)」については、チーム売却の可能性も含め従業員と協議に入ります。

 ホンダは第3期のF1活動として、2000年よりB・A・Rとの共同開発という新しい形での参戦をいたしました。その後のF1を取り巻く環境変化により、2006年よりホンダが100%出資するチームとしての運営に移行しました。最高峰のレースへの挑戦は、思いのほか厳しい道のりでしたが、多くの応援を頂き、2006年に貴重な1勝をあげることができました。頂いたご声援に十分お応えすることなく撤退の決定をすることは大変困難をともなう決断でございました。

 今後は、この激動の時代を生き抜き、レースで培われたチャレンジング・スピリットをもって、様々な新たな課題に引き続き挑戦し続けてまいります。

 これまで、ご声援をくださった多くのファンの皆様、そして活動を支えてくださいましたF1界の皆様に対し、心よりお礼申し上げます。

 なお、来年鈴鹿サーキットでは、予定通りF1日本グランプリを開催をいたします。来シーズンに向けての改修工事も順調に進んでおります。

 大変ありがとうございました。

●400人近くの報道陣が集まる

 緊急会見の時間が伝えられたのは当日の11時過ぎ。それにも関わらず、東京・青山のホンダ本社には400人近くの報道陣が詰めかけた。質疑応答の模様を詳述する。

——撤退を決断したのはいつ頃で、ドライバーにはいつ伝えましたか。また、エンジンやパーツなどのサプライヤーとなる考えはありませんか?

福井 会社として最終的に意思決定したのは昨日です。その後、速やかに関係者に連絡しました。エンジン供給などでの活動継続は考えていません。中途半端に参加したくはないと思っています。

——撤退を決断しての福井社長のお気持ちを聞かせてください。また、ドライバーやチームスタッフの契約がどうなるか教えてください。

福井 当初目標としていた成果を出せずに撤退、というのは大変私としても悔しいし、残念だし、ファンのみなさんには申し訳ないと思っています。それから何よりも、来年に向けたチーム強化ということで、F1チームに加入していただいたロス・ブラウンを始めとした優秀なエンジニアたち、ジェンソン・バトンを含めたドライバーに大変申し訳ないと思っています。

大島 チームスタッフとドライバーには本田技研での意思決定の後、(撤退を)お伝えしました。今後ですが、バトンとはドライバー契約をしておりました。従いまして、その契約解消の手続きをとっていきます。それなりのコスト(が必要になること)は当然考えております。

 チームスタッフについては、会社の売却を含めて考えていきます。今後英国の法律にのっとりまして、スタッフ代表と最長90日間の協議をして、この間に売却も含め、どのような形で収れんしていくかを決めていきます。

——ジェンソン・バトンとはドライバー契約を済ませていたということですが、撤退を伝えた時のバトンを含めた関係者の反応。誰からどのように伝えたかを教えてください。

大島 ホンダの意思決定の後、ニック・フライとロス・ブラウンには私から伝えました。彼らの反応は「非常に残念」ということでしたが、今の経済環境でホンダの置かれた状況を理解していただきました。今後のチームの収れんについてはきちんと私がリーダーシップをとってやっていくとお話ししました。

 まだ誰が伝えたか私は未確認ですが、ジェンソン・バトンへは、ニックもしくはロスのどちらかから伝えています。今の段階で私はジェンソン・バトンの反応についてお聞きしておりません。

——チーム売却の可能性ということですが、いつまでに売却できなかったらチームが解散という期限になるのですか?

大島 チームの見通しについては、まだこの決定がされて動き出したばかりなので、今は何とも申し上げられません。期間についても、今申し上げられることはございません。ただ、来シーズンのスタートの時点を考えると、早急に決めないと話は成立しないというのはロス・ブラウンもお分かりになっています。

——チーム売却先について、ホンダとして「こういう企業がいい」といった考えはありますか?

福井 売却先に関しては、現在数百人いる現地のF1チームのエンジニアたち、彼らができるだけいい形で継続できるならそれが一番だと思っています。それ以上は分かりません。

——ホンダの社員ではなく現地採用のF1の社員として雇用されている方は現在何人くらいいますか。エンジンだけでも供給される気はないということですが、エンジンレスでチームを売却できる見込みは本当にあるのですか? 今後チームの処理に関して、何にプライオリティを置きますか?

大島 HRF1(Honda Racing F1)にはおよそ700人、HRD(Honda Racing Development)には40人ほどの社員がいます。

 確かに今開発しているマシンは、ホンダのエンジンベースです。(ホンダはエンジンをもう作らないので)今あるエンジンである程度の活動を行えないかということで、検討しています。売却額などについては、チームとしての存続が可能であれば非常に低い金額でもいいのではないかと私は考えています。

●「休止」ではなく「撤退」

——F1事業は創業者の本田宗一郎さんの思いで始められた事業だと思います。ホンダの歴史にとって、今回の撤退はどういう意味があるとお思いですか?

福井 今回の撤退は歴史上どういう意味を持つかというよりは、例えば5年後にどうなるかで評価が下されると思っています。やめるということではなく、やめた力でどういう新しい価値を生み出すかということで評価されるべきだと(思います)。非常に大きな決断だったわけですが、「これはいい決断だったね」と言われるようにしないといけないと思っています。

——撤退の決断は昨日ということですが、選択肢としてはいつごろから考えていたのですか。また、過去2回の撤退のように再びF1の舞台に戻ってくる気持ちはあるのでしょうか?

福井 会社としての決定は昨日ですが、私個人としてはもうちょっと前から決めていました。

 F1という活動は相当大きなインパクトを企業に与えますので、はっきり申し上げると毎年毎年そういう(「今年で最後かもしれない」という)緊張感を持ってやっていました。毎年そういう検討をするわけですが、特に今回は非常に厳しい状況だったために、こういう決断になったわけです。将来のことは今申し上げる段階にはないですが、再復帰を考えての決断ではなくて、今回は完全に撤退であります。将来のことはまだ白紙です。

——先ほどの質問の確認になるのですが、第1期が終わった時には有名な「休止」という文言が使われ、第2期が終わる時も「休止」という文言が使われたと思います。今回は「撤退」となっています。これはホンダのモータースポーツに対する姿勢が変わったと理解してよろしいのでしょうか?

福井 ホンダのモータースポーツに対する考え方に大きな変化はないと思います。撤退という言葉をあえて使ったのは、100年間自動車産業が繁栄してきて、それが新しい100年に入ったという認識を我々は持っているんですね。従ってF1に注いできた「情熱」「リソース」「人材」、それを新しい時代に振り向けるべきだというものすごく強い意志がここ(「撤退」という言葉)に入っているとご理解していただければと思います。

——今シーズン、ホンダは「2009年に資源を集中する、今年は半ば捨てるけれども来年に期待してほしい」と言い続けてきました。今日の発表の直近まで、来季への期待を持たせるような情報を出し続けたのは、ファンにとっては一種の裏切り行為のように感じるのですが。

福井 ファンの皆様には本当に申し訳ないと思っています。状況を説明しますと、自動車の販売だけではなく、二輪車、汎用製品も含めて、北米のみならず世界中のマーケットが10月(に悪化し)、11月に入ってからは加速度的に減速しています。我々の想像をはるかに越えたような、全く先が見えないような状況に加速度的になっているのが11月です。

 従って10月以前、少なくとも9月までの状況ではこういう決断はたぶんなかったと思います。F1のチームの全員、来年に向けて相当いい状態に仕上がっています。彼らとしては来年に向けて手掛かりは十分つかめていたし、彼らは一生懸命やっていました。それに対して、われわれがビジネス上の理由で撤退を決断したわけで、そういう面ではファンの皆さまだけではなく、F1レース界の皆さまに申し訳ないし、ロス・ブラウンを含めたエンジニアにも申し訳ないと思っています。

——11月の販売状況が厳しくなって撤退ということですが、11月にバルセロナでテスト走行されていましたよね。その時は撤退は決まっていなかったのですか。ロス・ブラウンに相談はしなかったのですか。

福井 (撤退を決めたのは)直前ですね。バルセロナの(走行)テストの感触が、かなりポジティブだという報告をわれわれも受けていて、来年に向けての手ごたえがあったわけです。あの時点ではこういう話はなくて、ロス・ブラウンにこういう話を投げかけたのもわりと直近です。

●途中撤退だが「新しい時代に入った」

——第一報が外電で流れた理由を教えてください。また、オールホンダと言いながらもロス・ブラウンさんなどの外人がリーダーシップをとっていた意味、そしてこの決定でF1でのホンダの印象が傷つけられたとも思うのですが、どのようにお考えですか。

福井 われわれはさまざまな方面に配慮をして、発表しないといけないわけです。まず第1に直接レース活動をしている英国のHRF1の従業員数百人、彼らにきちんと説明するのが第一だと思いました。当然それ(HRF1)のリーダーシップをとったロス・ブラウン、ニック・フライにもきちんと説明した上で、従業員にブレイクダウンをしたわけですが、たぶんその関係で外電に先に入ったのだろうと思います。日本に対しては、今日この場でご説明しようと思っていました。

 第3期の成果という観点では、私自身としては大変残念だし、きちんとした成果は得られない途中撤退という認識です。あえて申し上げますと、最高峰のF1というレースという場で8年間戦ってきた、例えそれがロス・ブラウンの指揮下にあったとしても、栃木研究所のホンダのエンジニアが最前線で戦ってきた経験は、非常に大きなものがあると思っています。2、3年で(配置が)変わりますから、この8年間でF1レースに関わった人間は延べ千数百人になると思います。そういう人間の財産は1つ大きな成果だと思います。車体関係にしろサスペンションにしろ、駆動系にしろ、制御系にしろ最先端の領域の技術が磨かれたというのは大きな成果だと思っています。

 第3点のご質問は、きちんとした最終的な結果が出せなかったために、そういうダメージが多少あったと思います。それ(を挽回できるか)はこれから1年後、2年後、3年後にホンダがどういう商品を出していくか、それにかかってくると思います。

——F1はホンダの文化とも言われ、企業イメージ向上や技術開発、人材獲得で大きな役割を果たしてきました。そうした大きな核を失うという点について、どうお考えでしょうか。また、撤退費用はいくらくらいになるのでしょうか?

福井 最初の質問は先ほどのご質問に近いのですが、それほど自動車産業を取り巻く環境が厳しいという風に理解していただきたいと思います。これは経済危機、マーケットが冷え込んでいるというだけではなくて、われわれの認識では自動車産業が新しい時代に入ってきた(と感じています)。1年くらい前からそういう兆候はあったわけですが、そういう時代の変わり目に経済危機が来たと理解しています。

 従って、この経済危機を良い形で生き抜いていくだけではなくて、その間にきっちりした仕込みをして、新しい時代に適合した商品なり技術を開発することが非常に重要だと認識しています。今、言われたような批判はあるとしても、それは3年後、5年後にきちんと再評価されるべきだと思っています。

大島 費用そのものの額は、今の段階でいくらということはお話しできません。ただ、今決算年度に与える影響はそれほど大きなものではないと、今のところは思っています

——先ほどから「新しい時代に入った」と何度も強調されていますが、もう少し具体的にどういう時代なのか教えてください。

福井 私は、私だけではなくてホンダの内部で大体意見は合っていますが、直近の経済危機で、多少原油(価格)が下がったり、原材料(価格)が下がったりという変化はありますが、これは経済が回復すれば当然また(価格が)高い状況に行くわけです。この数年間、BRICs諸国の経済発展が非常に目覚ましく、地球上の資源の需給バランスが大きく変化したとわれわれは認識しています。

 従って新しい時代では、原油が高い、原油が使えない、原材料もそれほど豊富に使えない、高い原材料を使わないといけない(という状況を考えなくてはいけない)。これは、従来とは全く違った価値観で車を作る技術が必要なのだと思っています。

 具体的に申し上げますと、来年タイミングよく出すINSIGHT(インサイト)みたいな車が1つの例です。ホンダにとってはフィットが一番下のクラスですが、これよりも下のクラスの、小さくて燃費も良くて原材料も使わない車の開発が急を要する。

 あるいは欧州の燃費規制に対応したような(クルマ)、あるいはインドで必要な小型のディーゼルエンジン。現在2.2リットル(のディーゼルエンジン)しかホンダは持っていませんが、もっと小さなディーゼルエンジンの開発などは、非常に緊急を要していると思っています。これに対しては、F1にたずさわっているエンジニアが、非常に大きな力を発揮すると思っています。

——撤退の最大の要因は、経営状況が厳しくなる見通しが出てきたからか、技術開発へのリソース展開を考えてのことか、厳しい環境下で数百億円をモータースポーツに投じるという社会的な見方に対する対応を考えてのことなのか、どれですか?

福井 3つともすべて考えなければならない項目だと思いますし、それを全部配慮した結果です。

 特に11月のマーケットの販売状況、日本もそうですがマーケット全体(が不調)、これが1年間続くとひどい状況に自動車業界全体がなると思います。我々楽観論でビジネスをやるわけにはいきませんから、最低この状況が続く、もっと悪くなるかもしれない(と考えて経営していかなければなりません)。おまけに日本から見ますと、為替で円だけが厳しい状況(円高)になっています。世界中でビジネスをしているホンダにとっては、米国だけではなくて欧州も含め、各国のビジネスが全部厳しい状況を迎えている。そういうインパクトが、これからますます加速するということですね。

 それからF1の直近の変化で言えば、数年前までですとF1のレースチームは100億円もあれば運営できたと思います。たばこ産業(のスポンサー収入)を含めれば、大体ペイしていた。(しかし)直近いろんな変化があって、100億円で済まなくなりました。現地のオペレーションだけでも、200億円ぐらいかかるのではないかと思っています。(収益でも)今はたばこ産業が抜けて、スポンサー収入がほとんどない。各チームみんな厳しい状況だと思います。

 それが直近の事情ですが、これだけではなくて時代が変わって1年、2年これをしのいだとしても、その先に新しい展望が開けないと、新しい自動車産業で勝ち残っていけない。むしろ私としてはこちらの方が危惧(きぐ)として大きいと思います。3番目の社会(の目)とか、株主(の目)という話も当然ありますが、一番大きいのはやはり「開発リソースを有効に使うべき」と思ったからです。

——昨日、(ホンダが)期間工の削減をされるという報道が一部でありました。本日、F1の撤退発表があったわけですが、このほかのリストラ策などがあればお教えください。

福井 今日現在でまだお話しする段階にはありませんが、F1撤退の意思決定と同じ次元で、すべてのビジネス計画を見直しているところです。

●ルール違反で出場停止になったのが記憶に残っている

——鈴鹿サーキットの開催が2009年は予定通り、とありましたが、その後の開催についてはどうお考えでしょうか。また、来年からハイブリッドがF1でも解禁されるということで、環境技術で先行しているホンダとしては大変チャンスがあるんじゃないかと思っていたのですが。

福井 来年のマシンには相当力を入れていまして、それなりの成果は当然期待していたわけです。(しかし)1年遅れた判断が3年4年のギャップになる、それほどシビアな時期だと(思い)、一刻も早い決断、一刻も早い対応、新しい時代に対する対応が必要だと認識しております。

大島 (鈴鹿)サーキットの件ですが、これはモビリティランドが会社として意思決定していて、ホンダとして申し上げることはできないのです。今聞いている範囲では当然来年も開催しますし、来年以降も変更するという話は聞いておりません。

——F1は撤退ということですが、下のカテゴリーでのヤングドライバーの育成や、鈴鹿のレーシングスクールなどの支援活動は続けていくのですか?

大島 F1は撤退しますが、若手ドライバーの育成プログラムについては、そのまま続けてまいります。

——2000年からのホンダF1第3期では、1シーズンとしてチャンピオンシップを争える力はなかったと理解しております。その最大の原因は何にあるのでしょうか。

福井 最大(の理由)といってもお答えしにくいのですが、これはさまざまな理由があったと思います。中断をしていた段階で技術が遅れてしまい、それに追いつく時間がなかったということ(が1つの理由)。

 タイトル争いをやっていれば、こういう要件が必要だなと申し上げられますが、それがつかめていない段階での撤退ですから、理由はよく分からないです。「こうすれば勝てるんじゃないか」ということで、毎年手を打っている。来年に向けてもそういう手を打ったわけですが、それはまだ結果が出ていませんから何とも申し上げられません。非常に残念だと思います。

——2000年からの第3期を振り返って一番印象に残ったこと、あるいはうれしかったこと、やり残したことなどがあれば教えてください。

福井 もちろん勝った時が一番うれしかったわけですが、やっぱり強い印象があるのはポールポジションをとった年、確か2005年か2004年※だったと思いますが、ポールポジションをとってレースに勝てなかったという状況。十分勝てそうな雰囲気になった時に、ルール違反※※ということで出場停止になったこと、非常に悔しかったですね。我々は「ああいうルール違反はない」といまだに信じています。あの時に勢いをそがれたことが残念だと思っています。

※2004年のサンマリノGPでジェンソン・バトンがホンダF1第3期初のポールポジションを獲得。

※※2005年のサンマリノGPで車体重量違反をしたことから出場停止処分を受けた。

——F1以外のモータースポーツについては続けられるのでしょうか?

福井 今現在、私としてはMotoGPのワークスは続けるし、インディー(カー)・シリーズは米国ホンダで続けるつもりです。それ以外はこれから詰めます。

——近年環境意識が高まってきて、F1が環境にやさしくないとの見方が出てきましたが、それが今回の決定に影響していますか。また福井社長は、2000年にF1復帰を決めた時にモータースポーツの担当役員だったと記憶しています。その前の二輪の開発者だった時代からスポーツに関わってこられて、今回のF1撤退を決断せざるを得なかったご自身の境遇をどう思われているか率直に教えてください。

福井 ホンダのコーポレートブランドを高めるというのを非常に大きな目標として、やってまいりました。これに関しては結果が出なかったということで、目標を達成できずに撤退ということで非常に残念です。しかし、決してF1のブランドの価値がなくなったからといって撤退するのでは絶対ありません。

 今でもやりたいという気持ちが非常に強い。ただし状況が許さなかったということです。私自身の気持ちとしてもやはり、何らかの形でのモータースポーツへのチャレンジがホンダにとっては必要だし、これがF1ではなくてMotoGPだったり新しい技術への挑戦だったり、違う形でのチャレンジでこれをつなげていくことは可能だと思っています。

●終始ポーカーフェイス

 途中熱くなる場面もあったものの、終始ポーカーフェイスで通した福井社長。1時間の会見を終えると、足早に会見場を引き上げた。

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