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2008年12月08日(月) 16時32分

バラナシ〜伝説の日本人宿久美子ハウス〜「銀色の轍」〜自転車世界一周40000キロの旅(112)〜Oh! MyLife

<前回までのあらすじ>
 地球一周40000キロを自転車で走る。壮大な夢を抱いて僕は世界へ飛び出した。旅立ちから1年半、自転車で走り続けることに疲れた僕は、しばし列車とバスを乗り継ぐ旅に。東インドのコルカタでは、マザーテレサの建てた施設でボランティア体験をする。

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 12月24日、僕はバラナシに戻ってきた。久美子ハウスには見覚えのある顔が2人いた。

 1人はカズヤくんという学生、ごついロンゲのドレッドヘアで、よくギターを弾いていた。ガンジャ好きでもある彼は11月からずっと沈没しており、宿の主のような存在になっていた。

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 もう1人は短髪で小太りの男、一目見て僕はぎょっとした。去年の11月、イスタンブールのコンヤペンションで出会ったノブだった。

 半年後、アフリカ大陸の旅を終えて、再びイスタンブールに戻ってきたとき、彼は別の宿に移り、なぜかコンヤの悪口を触れ回るようになっていた。とりわけ看板娘のエリフと、その家族に対する個人攻撃がひどかった。

 僕は、トルコから東に向かう旅の過程でも、彼が懲りずに悪口を言い続けていると知っていた。イスファハンでもラホールでも、日本人バックパッカーたちの間で、ちょっとした話題になっていたからだ。

 「彼ずっと旅しているんでしょ。ずっと旅しているうちにおかしくなっちゃったのよ」

 エリフの台詞(せりふ)が思い出された。まさかこんなところで再会するとは思わなかった。

 にらみつけると、ノブは気まずそうに目をそらした。僕はよほど文句をぶつけてやろうかと思ったが、言葉が口をついて出なかった。

 インドでもスリランカでも、僕は些細(ささい)なトラブルで、現地の人とけんかになることが多かった。旅が長くなり過ぎたがゆえの弊害であると、自分でも認識していた。

 「キフネさんは彼みたいにならないでよ」

 いつかエリフに言われた言葉が、そのときは一笑に付したはずなのに、なぜだか自分に跳ね返っていた。

 真っ昼間だったが、久美子ハウスの大部屋には何人かの男女がたむろしていた。そのうちの1人、ヒデくんという男が声をかけてきた。

 「旅、長そうすね」

 「まあ、そうですね。長いですよ」

 僕は答えた。

 「今から何人かで飯食いに行くんですけど、よかったら行きます?」

 僕はうなずいた。旅の長さをまた見抜かれたことで、複雑な気分だった。

 久美子ハウスのすぐ裏手のガートから、ガンジス川を行き来する舟に乗ることができた。ヒデくんやカズヤくんたちと総勢8人ほど、1人だけカナダ人の女がいた。ステファニーという名前で、驚くほど白い髪の毛をしていて、「キマッテル」とか「タイマ」とか、ろくでもない日本語を喋(しゃべ)っては、みんなを笑わせていた。

 5分ほど舟に揺られ、上流のガートに着いた。舟賃は1人10ルピー。僕がルピー硬貨を取り出したコンヤペンションの財布を見て、切れ長の目をしたユカちゃんと、おかっぱ頭のエミちゃんが言った。

 「あれ、あの人もトルコの財布持ってるよ」

 「あ、ほんとだ」

 聞けば2人ともトルコのほうから旅行を続けているらしい。みんなでピザを食べ、装身具の店を冷やかしつつ、帰りはガンガー沿いを歩いた。大勢でわいわい食事に行く雰囲気は好きだったし、久しぶりに西からの旅行者に出会って、僕は少し嬉しかった。

 クリケットをして遊ぶ子供たちがいた。この寒いのに、川に入り沐浴(もくよく)で身を清めている人々がいた。ガートの端に佇(たたず)み、遠く彼岸を見つめている黒い牛がいた。風が冷たかった。

 猛暑のイメージが強いインドだが、バラナシの冬はとても寒い。数字的には東京の冬よりずっと気温は高いはずだが、なにせ暖房がない。安宿の久美子ハウスもその例外ではなく、すきま風が始終室内に吹き込んできていた。

 南インドやスリランカとの寒暖差にやられたのか、僕は体調を崩し、熱を出した。あっというまに高熱になり、 1日中ベッドの上で、寝袋にくるまって寝込む日が続いた。

 ある日の真っ昼間。僕がふと目覚めると、久美子ハウスの大部屋は閑散として、静かだった。すぐに寝直そうとするが、散々寝すぎたせいか、眠気が来ない。かといって起きあがるのはもっと億劫(おっくう)だ。頭は相変わらず痛いし、熱はちっとも下がっている気がしなかった。

 「きゃーゴッチン、久しぶりぃ!」

 突然、ユカちゃんの甲高い声が聞こえた。狭い階段をドタバタと駆け下りる音が続いた。ややあって、今度は階段を上ってくる音がした。2人分の足音だった。

 「ゴッチン、あたし、超嬉しい」

 ユカちゃんのはしゃぐ声。

 「なんやここ。すごいな」

 もう1人、関西弁の女の声がした。

 (また誰か来たみたいだ)

 僕は朦朧(もうろう)とする意識の中で理解した。寝袋から顔だけ出すと、真っ赤な派手な帽子が見えた。ユカちゃんがその真っ赤な帽子と話していた。ゴッチンと呼ばれた彼女の横顔がちらと見えた。左腕の腕時計を見た。午後の2時を回っていた。

 僕は再び寝袋をかぶった。ひどく頭痛がした。

【2002年12月27日
 出発から26593キロ(40000キロまで、あと13407キロ)】

<次回予告>
 バラナシ郊外、仏教聖地のサールナートを訪れる。そして間もなく、大晦日を迎えた。(11月28日ごろ掲載予定)

(記者:木舟 周作)

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