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2008年12月05日(金) 21時41分

那須隆氏が死去 殺人冤罪事件の元服役囚東京新聞

 1949年に青森県弘前市で発生した弘前大教授夫人殺し事件で犯人とされ、その後、再審無罪となった那須隆氏が1月24日午前0時12分に青森県の病院で死去していたことが5日、分かった。84歳だった。青森県出身。自宅は青森県つがる市稲垣町千年亀菊5ノ4。葬儀は近親者で済ませた。

 同事件の犯人として逮捕、起訴され、一貫して無罪を主張したが、53年に最高裁が上告を棄却、懲役15年の判決が確定した。63年に仮釈放後、真犯人が名乗り出たため再審を請求し、77年に無罪が確定した。

 「冤罪は検察官と裁判官の過失が原因」として国家賠償を求めたが、90年に最高裁で上告を棄却され敗訴。その後、講演や執筆活動などを通じて冤罪体験を語り、国家賠償法の改正を求める活動などをしていた。

 栃木県大田原市立の「那須与一伝承館」によると、那須氏は源平合戦の弓の名手、那須与一の直系の子孫。与一の誕生の地とされる同市に那須氏が資料を寄託したのがきっかけで、2007年10月に伝承館が開館。那須氏は初代名誉館長を委嘱されていた。

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2008120501000825.html