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2008年12月04日(木) 15時03分

綾小路きみまろ、原点は観光バスに配った漫談テープ産経新聞

 「司会者は誰かを紹介する仕事ですよね。でも、いずれは紹介されて、拍手を受けながらステージに出ていく側になりたい。司会をやっていたころから、それを目標にしてた。そのために自分は何ができるかと考えたわけです」

 そう言って、1本のカセットテープを見せてくれた。「これが50歳のころ、初めて作った漫談のテープです」

 キャバレーの司会から抜擢(ばってき)され、歌手の専属司会者として活躍した。1000人以上の観客が詰めかける大劇場での司会は、曲の紹介だけでなく、ナレーション、インタビュー、つなぎの漫談とさまざまな役割をこなせなければつとまらない。とりわけ毒舌漫談には自信があった。

 漫談家に転進したが、テレビ中心の仕事にはなじめなかった。やはりライブで、生のお客さんを相手に漫談で勝負したい。だが、そうなると知名度はなかなか上がらない。

 ステージに立ちながら、舞台衣装の内ポケットに録音機を入れて自分の漫談を録音した。その中から1本を選び出した。自信はあったが、さて、どうすれば聞いてもらえるか…。

 「いろいろ考えました。美容院、老人ホーム…でもカセットデッキがあるとはかぎらない。で、ひらめいたのが観光バス。カセットデッキがあって、たくさんの人が乗っている。これだ!と思いました」

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 まずは、漫談をダビングしたカセットテープをたくさん作った。

 「妻と夜なべ仕事です。市販テープのラベルをはがして、一本一本手作りのラベルをはって。家内工業でしたね」

 出来上がったテープを車に積み込んで、向かった先は高速道路のサービスエリア。トイレ休憩で駐車中の観光バスを次から次に回った。「面白い漫談です、お金はいりません。バスの中でかけてもらえませんか」。バスガイド、添乗員、運転手らに片っ端からテープを配った。

 「何を売っているのか、宗教か何かの勧誘じゃないのかと、サービスエリアの職員に注意されることもありましたが、『売ってるんじゃなくて、ただであげてるんだ』と切り抜けました。口じゃ負けません(笑)」

 配って歩いた場所は関東近辺のサービスエリアだったが、観光バスは全国から集まってくる。

 「大阪、名古屋、京都…ナンバーを見て、遠ければ遠いほど配っていてうれしかったですね。きみまろ人気が遠くへ広がってほしい、全国で火がついてほしいと…」

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 そんな思いに応えるように、「変なオジサンが配っている面白いテープ」の存在は口コミで広がっていった。

 「そのうちテープのラベルに書き込んだ電話番号に、注文が入るようになりました。最初は1日2、3本だったのが、5本、10本とどんどん増えて、家内工業では間に合わなくなって…」

 1年後、タダで配ったテープが3000本を超えたころには、1日で最高400本もの注文が来た。「舞台のギャラより売り上げの方が多くなりました」と振り返る。

 テレビ、週刊誌などマスコミで取り上げられ、いつしか「中高年のアイドル」と呼ばれるように。いま、ライブの舞台は全国に広がっている。「思えば、これが原点ですよね」。古ぼけたテープが輝いてみえた。(文 栫井千春)

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【プロフィル】綾小路きみまろ

 あやのこうじ・きみまろ 昭和25年、鹿児島県生まれ。本名・假屋美尋(かりやよしひろ)。拓殖大卒。キャバレーの司会や森進一、小林幸子ら歌手の司会を経て漫談家に。中高年の悲哀を明るく笑い飛ばす毒舌漫談で人気を集める。平成14年発売の漫談CD「爆笑スーパーライブ第1集!中高年に愛を込めて…」が100万枚を超えるヒットに。芸能生活35周年記念のDVD「綾小路きみまろ爆笑!エキサイトビデオ第3集」も発売中。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081204-00000563-san-ent