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2008年12月02日(火) 17時21分

麻生首相の失言と特殊日本的精神論ツカサネット新聞

麻生太郎首相の相次ぐ失言が批判を集めている。「踏襲」を「ふしゅう」と読んでしまうようなKY(漢字が読めない)と合わせて麻生首相個人の見識を問う傾向にある。しかし、麻生首相の失言には日本社会の悪い面を体現していると考える。

麻生太郎首相は2008年11月19日、首相官邸での全国都道府県知事会議で「社会的常識がかなり欠落している人(医師)が多い」と発言した。20日の経済財政諮問会議では「たらたら飲んで、食べて、何もしない人(病人)の分の金(医療費)を何で私が払うんだ」と述べた。両発言は強く批判され、麻生首相は釈明を余儀なくされた。

麻生首相発言の問題点は医者や病人を傷つけ、不快にしただけではない。制度的な課題への対応を個人の問題に矮小化している点が総理大臣の発言として心得違いである。地方の医師不足や社会保障費抑制は制度的な問題である。それに対して、「医者が社会常識を身につけるべき」「高齢者は病気の予防に努めるべき」というだけでは、制度を改善することにはならない。「各人が善人となって最善を尽くして頑張れば社会が良くなる」と主張しているに過ぎない。これで上手くいくならば政策を立案することも制度を改善していく必要もない。社会にとって政治家は不要である。

麻生首相の失言は政治家としての無能さを自白するに等しい。恐ろしいことに制度的な問題を個人の頑張りで乗り切ろうとする精神論は麻生首相だけの話ではない。特殊日本的精神論と呼べるほど日本社会に根付いている。根本原因を明らかにするための地道な責任追及を「後ろ向き」と否定し、過ぎたことは過ぎたこととして、これから頑張ることを「前向き」と評価するような輩は旧態依然とした日本の組織に腐るほど存在する。

記者(=林田)自身にも思い当たる経験がある。記者は某大手不動産から不利益事実(隣地建て替え)を説明されずに新築マンションを購入してしまった。真相を知って抗議したが、担当の課長は不誠実にも「隣地が新しく建替えられれば建物が綺麗になる」「建て替えをプラスに見るかマイナスに見るかの問題だ」と極まりないことで被害者をプラス思考に誘導させることで正当化しようとした。

記者は売買代金返還訴訟を東京地裁に提起したが、裁判でも不誠実なプラス思考は変わらなかった。和解協議において売買契約の取消しではなく、仲介での売却を提案したのである。「過ぎたことは過ぎたこととして、被害者と加害者が協力することで損害を最小限にしよう」という発想である。一度、不動産取引で騙された被害者が新たな取引に応じる筈がない。当然のことながら和解協議は決裂し、東京地裁平成18年8月30日判決で売買代金全額の支払いが命じられた。

戦後の日本社会自体が焼け野原になってしまった原因を追及することよりも、焼け野原から経済大国にしてしまうことを誇るようなメンタリティの上に成り立っている。仮に焼け野原から経済大国にするほどの才覚があるならば焼け野原にならなければ、もっと発展していた筈である。失ったものの大きさを考えれば、焼け野原にしてしまったことを恥ずべきであって、焼け野原から経済大国にすることは誇れるようなことでは決してない。

失言を重ねる麻生首相は大いに批判されるべきである。しかし、表面的な言葉尻の批判に終始するのではなく、麻生首相の失言の背景になっている特殊日本的精神論にまで切り込むことを期待したい。それが頑張ることを強制する日本社会を少しでも人間的なものに近づけることになる。


(記者:林田 力)

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