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2008年08月28日(木) 17時06分

大野病院事件は何を残したのかオーマイニュース

 日本中の医療者が注目した医療裁判「福島県立大野病院事件」。福島地裁は8月20日、業務上過失致死と医師法違反に問われていた産婦人科医の加藤克彦被告に、無罪を言い渡した。

 当日の模様を改めて書く必要はないだろう。

 無罪判決はニュース速報で流れ、地元紙は号外を出した。医療崩壊をスピードアップさせたといわれる同事件の結果は、その夜のニュースから、翌朝の全国紙社説、昼のワイドショーでまで詳報された。

 公判から1週間後。週刊誌や医師向け媒体に判決原稿を出し終えた私は、再び福島へ向かっていた。大野病院の医療事故で亡くなった女性の父・渡辺好男さんに会うためだ。

 判決後の会見ではこわばった表情で『残念な結果。医療界への不安を感じざるを得ない』と用意していたコメントを読み上げた渡辺さんは、その日の取材で「(会見なんて)2度とやるもんじゃないね。まだ疲れが取れない」と苦笑いし、訥々(とつとつ)とした調子で話し始めた。

  ◇

 加藤医師の無罪を受けた渡辺さんは判決後の会見で、『残念な結果。今後の医療界に不安を感じざるを得ない』とのコメントを発表している。

 改めて「不安」の理由を問うた私に、渡辺さんはこう言った。

 「だって、娘に対して、結果が出ていないですからね」

 無罪に対する不満というのではない。医師に対する怒りという風でもない。

  ——どうしていたら娘の手術はいい方向に行っていたのか?
  ——リスクの高い手術なのに、なぜ加藤医師は設備の整った病院に送らなかったのか?
  ——入院していた25日間、娘と医師、看護師はどんな会話をしていたのか? 医師や看護師はどういうやりとりをしていたのか?

 そういった、遺族が事故当初から知りたがっている疑問に対する答えと、原因を究明したうえで再発防止につなげようという「前向きなもの」が医療界から感じられないのだという。

 事故後、2005年3月に福島県の医療事故調査委員会が出した報告書も、医療界向けの説明のようで、患者に対する説明とは感じられなかったという。

 その後警察の捜査が入り、刑事裁判になってからは、新たに知り得たことがあったという。手術前、大野病院の助産師が加藤医師に「高次医療機関へ送った方が良い」などと進言していたことなどだ。

 そういう意味で、渡辺さんは警察の捜査に感謝はしているが、知りたかった「真実」はまだほんの一端しか見えていない。

 医療事故を調査し、原因究明する仕組みが日本にはないことも、事故被害者となって初めて知ったという。

 「もっとしっかりしているものと思っていました。でも(真実を究明する仕組みは)裁判しかなかった。なぜそんな体制が今までなかったのか。(大野病院事件を機に、国レベルで医療事故調査委員会創設の議論が加速しているが)こういう事件が起きてから動きが出てきたのも残念です。こういうものは娘が亡くなる前に確立しておいて欲しかった」(渡辺さん)

 医療事故で患者が亡くなる。その事実の説明を患者・遺族にできない医療事故調査委員会、そして医療裁判とは、いったい何なのか。

 医療事故調査については、被告となった加藤医師自身が判決後の会見でその実態に触れている。

 「あの(医療事故調査委員会の)報告書は、出た時点で違和感がありました。ミスがあったとする内容だったので、すぐ病院事務長に抗議というか、話をしようとしました。けれども遺族への賠償のため、と言われ、話ができなくなってしまいました」

 医療上のミスがあれば、それは医師が加入する保険の保険金が遺族に支払われる。けれども、過誤なしの場合は、保険金は支払われない。まさか刑事事件になると思わなかった病院側は、遺族に対し、賠償金が支払われるような方向で、報告書を作った、というわけだ。

 加藤医師の上司にあたる佐藤章・福島県立医大産科婦人科学講座教授も、こう話す。

 「『事実と異なるから書き直してくれ』と言ったんだが、『遺族への賠償のため』と言われて引っ込めてしまった。私がもっと強く書き直しを求めていれば、こんなこと(記者注。最初の報告書段階ではミスを認めたが、刑事裁判になってからはミスを認めず、主張が二転三転しているような印象を与えたこと)にはならなかったんです」

 では、医療事故調査委員会は何を調査したのか。遺族はいまだ賠償を受けていないのに、報告書は何の役に立ったのか。裁判でのやりとりも、真実を明らかにしていないというなら何のためのものだったのか。

 「医療は不確実なもの」である限り、刑事裁判で医療を裁くのはそぐわない。だから加藤医師が逮捕・起訴され刑事裁判となったときに、全国の医師が一斉に抗議した。それはよく分かる。

 だがそもそも、患者・遺族が事実のすべてを知りたいと言うときに、彼らが傷つく必要があるのだろうか。裁判にならずとも、医療側自らが積極的に患者・遺族に納得のいく説明をすることができないのだろうか。徹底した事実調査と原因究明はできなかったのか。

 大野病院事件では患者・遺族はもとより、加藤医師本人も医療現場から離され、社会的なダメージを受けるという傷を負った。

 初公判から取材してきた私には、法廷での両者の姿が痛々しくて仕方がなかった。

 判決当日、閉廷してざわついた法廷で加藤医師は遺族の方を向き直り、深く長い一礼をした。遺族はそれに応じることなく、検察に伴われ退廷した。どうしてこんなにも医師と患者のあいだの溝が深まってしまったのかと思う。

 国ではいま、医療安全調査委員会(仮称、いわゆる医療版事故調)創設への議論が進んでいる。刑事免責を盛り込むべきか、どこが調査主体になるのか、など、論点はまだ残っている。議論を重ねて良いかたちの機関になればいいと思う。ただそれば、患者が医療への信頼を取り戻せるような、徹底した事故調査を行う場であって欲しい。

 そうでなければ、大野病院事件のような事件がまた起きてしまうだろう。

  ◇

 大野病院事件のシリーズはこれで終わります。重いニュースながらここまで読んでいただき、ありがとうございました。この場を借りまして御礼申し上げます。

(記者:軸丸 靖子)

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