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2008年08月28日(木) 16時24分

発信する「HIROSHIMA」、受信する「ヒロシマ」オーマイニュース

 8月6日の広島平和記念公園は、どこを歩いても多種多様な表現方法を使って、いろいろな人たちが外へむけてメッセージを「発信」していた。原爆について語ってくれる人、絵本や紙芝居、演奏などのパフォーマンスをする人、シュプレヒコールをあげたり、運動をPRする団体など大勢いた。それを「受信」する、ビジターの数も多かった。国内観光客も外国人も報道人もたくさん来ていた。

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 また、ホスピタリティーの精神にも溢れていた。朝、バスターミナルで平和記念公園への行き方を調べていると、交通ボランティアの方が声をかけてくれて、公園まで道案内をしてくれた。話を聞くと、今日は、いろいろなボランティア団体が訪れる人たちのために活動をするという。

 車いすでの介助支援、おしぼりや冷水サービスなどもあった。毎年、平和記念式典はテレビ中継で見ていたけれど、このような活動がされているとは知らなかった。

 平和記念式典の後、原爆の子の像の前で座っている子どもたちを見かけた。

 「他人に声かけるのって難しいよね」となにやら話している。事情を聞くと、小学生から中学生のグループで、東京から広島へ取材にきた特派員なのだという。それならばと、私は中学2年生の男子生徒から取材を受けることになった。

 自分で考えたという質問は「原子爆弾についてどう思うか」「平和記念式典では何を祈ったか」「戦争についてどう思うか」の3つだった。私は、どこかで聞いたようなことをつなげただけの体裁のいい答えしか話すことができなかった。質問が大きすぎてひとことで語るのは難しすぎる。そんな思いもあって、私は、同じ質問を中学生にも投げかけてみた。

 中学生は「まさか自分が質問されるとは思わなかった」と言いながらも、真摯(しんし)に答えてくれた。

 特に印象的だったのは、「戦争は、人と人の道として間違っているものだから、やっぱり戦争は止めるべきことだと思う」という答えだ。

 文字にしてしまうと簡単に聞こえてしまいそうだが、ゆっくりと言葉を選びながら時間をかけて答えてくれた。その答えを聞いて、自分自身の言葉で質問に答えられなかった自分が恥ずかしくなってしまった。

 大人になると、物事を多面的に見据えようとして、複雑に考えすぎてしまう。けれど、実は、もっとシンプルな中に真実はあるのかもしれない、と気づかせてもらえた。

■私の見つけた広島

 8月6日の夜は、原爆ドームの前を流れる元安川に赤や黄色、青といったとうろうがたゆたいとてもきれいだった。原爆ドームの周りには、メッセージ付きのキャンドルが優しい光を灯(とも)した。

 金銭的、時間的に、深夜バスを利用してのトンボ帰りの強行な旅となってしまったが、滞在時間約12時間という中で、よそ者のストレンジャーとして、私なりの「広島」をたくさん見つけることができたと思う。来てよかった。

 旅に出る前は、広島に来たからといって、何でもかんでもすぐに分かったような気になるのは止めよう、と思っていた。

 けれど、私は広島でたくさん出会った、話した、感じた!

 2008年8月6日は、私がこの世に生まれて、一番、有意義で濃い8月6日になったと思う。

 旅の最後に私は、爆心地へ行った。爆心地は、にぎやかな商店街から外れたところにあった。私は、爆心地の地面を何度も触りながら、1日を反芻(はんすう)し、そして、広島を後にした。

(記者:柳川 加奈子)

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