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2008年08月28日(木) 11時23分

ビリン村で感じたパレスチナの苦しみオーマイニュース

 エルサレムを北に進むこと1時間半、バスに乗り、いくつもの山を越えた場所。車窓から見る景色も、店などから木々が何もない山肌となっていく。

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 ビリン村では非戦闘、非暴力を掲げ、分離フェンス建設を反対するデモが行われている。現在はすでにフェンスが敷かれているが、それでもなお毎週金曜日、イスラエル政府が建設した分離フェンスに反対するデモが行われている。

 エルサレムを北に1時間半ほど進んだ場所にあるビリン村。町から離れているこの場所は閑散としている。

 店も活気もない場所だったが、デモ参加者が集まる場所だけは熱い空気が漂っていた。私が到着した時は50人以上の人が参加し、村人たちが先頭に立っていた。そして、トラックの荷台にある巨大スピーカーから流れる曲に合わせて、歌い、叫び、踊っていた。旗を振り、犠牲になった子供のポスターを持ち、行進(フェンス越しに待つイスラエル兵のもとへ)。

 デモには50人近くの参加者が各国から集まっている。彼らの参加理由はさまざまだ。写真を撮りたい……、誰かに連れられて……、あるいは真剣にビリン村に壁を作らないでと強く願うなど……。

 今回、私も参加したデモは村人を中心にトラックがデモ隊を先導し壁の近くまでいくものだった。音楽が鳴り、トラックの荷台に乗ってマイクを持って歌う人もいる。

 旗を振り、殺された男の子の写真のポスターを持つ子供たち。カーニバルのような雰囲気だ。踊りだす老人、大声で叫ぶ男性、カメラを構え写真を撮るために走り回る外国人。

 30分程度歩くと壁に到着する。イスラエル兵士がフェンスの向こう側に立っているのがこちらからも見える。彼らの武器である声と旗を振る行為に、イスラエル兵士は催涙ガスで攻撃をしてくる。

 初めて経験した催涙ガスは鼻を押さえても、タオルで口を押さえても離れない悪臭で、一瞬怯(ひる)んでしまいそうにもなるが、その分余計に苛立(いらだ)つし、私たちを家畜にしか思ってないのかという怒りに変わった。

 途中からサウンドボムが投げられ、村人たちも投石することで応戦するが、それ自体にはあまり意味はない。何よりも大切なことは、この事態を伝える私たちの存在だと思う。別に私たちが特別な存在ということではなく、この問題を伝えることができるのは村人でなく私たちだからだ。 ほかの写真を見る

 彼らの家はここだけれど、私たちの家はここではない。だったら1人ひとりが自分たちのできる限りの力で事態を多くの人に伝えることが役目なのではないかと思った。

 望遠レンズ越しにイスラエル兵士を見ると、彼らも、カメラを構えてこちらを見ていた。まるで対になった鏡のようだ。同じ人間同士でカメラを構えて……。

 同じ人間同士の戦いはなんて滑稽(こっけい)で醜いんだろうと思う。でも、私は分離フェンスで非戦闘を掲げ、この事態を伝える眼(め)を持った人間でいたい。

(記者:菊池 章子)

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