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2008年08月27日(水) 12時47分

「泥メンコ」蒐集家に話を聞いた(3)オーマイニュース

2からのつづき

───江戸のゴミと一緒に、泥メンコも移動したという説もお聞きしました。「江戸のゴミと一緒に」説ですと、船橋辺りでの発見については分かるとしても、それ以遠の稲毛や市原のことは説明がつかないようにも思えます。

吉田瑜享氏: 稲毛駅周辺を中心に、畑と言う畑を探し回った者としては「ゴミに紛れて」を信じています。(記者注:畑で発見されたものに関する限り、「ゴミに紛れて」来たものというのが定説らしい)

───ネット情報によると、東京近郊での分布については、都心はもちろんのこと、西は八王子から、東は市川〜稲毛〜市原まで、とあります。どうして北や、南の横浜方面にはないのでしょう。

 麦畑の分布状況によるのではないでしょうか。成田近辺にも出ると書いてあります。

───稲毛にある稲毛浅間神社に奉納されたものが、なにかのきっかけで、周辺に散在することになった可能性はありませんか。

 考え過ぎのような気がします。

───余りに子供が熱狂したので幕府が禁止したこともあった、という話もネットには出ていました。

 それについて私は全く何も知りません。初めて聞く話です。

───ネットを眺めておりましたら、「骨董屋で目にしたので面白いと思って買ってきた」と言う話が出ていましたが、こんなこともあるのでしょうか。

 一時期、東京・神田の三省堂(のコイン・切手売り場)で、メンコ銭と称して1個500円ぐらいで売っていた記憶があります。だれが補充していたのか知りませんが、そのうちにメンコ銭は売らなくなりました。いずれにしても入手困難と言うことだったのでしょう。

 私自身のコレクションはいずれ、収集品が多数ある市川歴史博物館か、あるいは地元・稲毛の公民館などに寄贈したいと考えています。ただし今は自分なりにもう少し、いろいろと考証を楽しみたいと思っているので、寄贈はもう少し先の話になります。

  ◇

 昭和30年代に、吉田氏が夢中になって探したJR稲毛駅周辺は、もう麦畑・落花生畑がなくなっている。

 「最近は、美しいメンコを見つけるのは困難です。宅地化されたのと、鍬でメンコが欠けてしまうからです」(吉田氏)

 メンコは決して子供の遊びの世界だけのものでなかったようで、『江戸一』と記してある男性の一物とか、『大入』と記してあるワイセツな図柄などもあるそうだ。

 なお、山梨県・埋蔵文化財センターの遺跡トピックス「鰍沢河岸跡(かじかざわかしあと)」には、次のような解説が出ていた。

 東京の遺跡などから出土する泥めんこは円盤状で文字や家紋の入ったものが主体であるのに対して、鰍沢河岸跡から出土したものは様々なモチーフを模ったもの、特に恵比寿・大黒・宝船・亀などの縁起物が多いことが特徴的です。1〜3cm程の小さなものですが、とても精巧にできています。泥めんこの多くが寛永通宝などの銭貨と共に建物の基礎下の地盤から出土しました。このことから商売繁盛や家内安全などの願いを込めて奉納されたものではないかと考えられます。

 吉田瑜享氏への取材と対比し、考えさせられる情報である。

(了)

(記者:雨宮 文治)

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