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2008年08月27日(水) 12時06分

77年前のプロレタリアートの叫びオーマイニュース

 小林多喜二の本がクローズアップされた、というニュースが流れて久しいですね。そんな中格差社会の主役的世代である31歳の私はこの梅雨にプロレタリア文学についてに関する1冊の「本」に出会いました。

 昭和6年、改造社から発行された『プロレタリア文學集』(現代日本文学全集第六十二編)です。ちなみに古本屋さん価格で315円、安いです。多分乱丁品だからなのでしょう。

 昭和6年、西暦で言うと1931年ですから2008年の今から数えると77年前になります。まず、昭和6年の世相からひもといていきます。

 世界恐慌の2年後が昭和6年です。日本の代表的な出来事と言えば柳条湖事件から満州事変、当時の日本国内は折からの不景気で今の見方とは真逆、快進撃を続ける軍部に救いを見いだし始めた、そんな世相だったようです。それは一気に襲い始めた未曾有の不景気により新たな地、満蒙で再起のチャンスがまだある、そんな感覚があったのでは無いかと思われます。それが当時の世相のようです。

 さて話を本題に戻します。円本として収録されたプロレタリア文学各作品、分量はかなりのものになります。目次順に全部挙げますと、

・林房雄 『都会双曲線』『鐵窓の花』
・小林多喜二 『不在地主』『教授ニュースNo。18附録』『市民のために!』『蟹工船』
・武田麟太郎 『暴力』『荒っぽい村』『休む軌道』『色彩』『反逆の呂律』
・藤澤桓夫 『生活の旗』『傷だらけの歌』『赤ん坊の話』『農村では』
『墓地で體操(タイソウ)をする男』『琉球の武器』『子供』
・村山知義 『暴力團記』『日清戦後』
・中野重治 『砂糖の話』『波のあひま』『病氣なほる』『新しい女』『モスクワ指して』 『ドイツ國民黨員(トウミン)』
・貴司山治 『同士愛』『舞台會事件』『チタの烙印』『借家人組合ニュース』『貞淑な細君』
・徳永直 『赤色スポーツ』『能率委員會』『約束手形三千八百圓』『あまり者』『プロマイドを捨てる』『馬』『眼』『カットされない場景』
・落合三郎 『染色體(クロモゾオメン)』

※( )片仮名表記送仮名は当記事筆者記載

 全ページを合わせると630ページ、ただ単なる630ページでは無く、1ページ3段に分けて作品が編集され直されています。感慨としてはよくあの時代にこれだけの作品を集め、それを選集にすることができたな、という一言に尽きます。

  1ページ目、選集に辺り編集を行った江口渙・貴司山治は、改造社の勧めにより闘争のためでは無くプロレタリア文学が発達している、そのことを誇示するために代表的な作品を集めたに過ぎない、というようなことを書いています。さらに、今回の選集は遠回しですが、この選集をたくさん買ってわれわれの活動資金を支援してね、ともありました。すなわち活動資金のために作った作品集である、ということがあらかじめ記されています。

 この選集が稀有(けう)な存在であると私が思ったのはここでした。公の場でプロレタリア運動をしている人たちが金稼ぎを公言しているのは珍しいな、と思うことです。

 彼らの目線から見ても当時の世相に追いつかない、と感じたその瞬間だったのかも知れません。それはその序文にも書かれています。活動の犠牲者をたくさん出している、と。これは治安維持法施行によることは明白です。これからもそれが予測されもう限界だ! と叫び出した第1歩とも受け取れます。軍靴はもうそこまで音を立てて忍び寄っていたのです。

 77年たった今、世界的に景気が停滞している現代において小林多喜二がまた注目されたのも、何だかこの本が出た時と同じ様な、もう限界だ! と今度は活動家では無く世相が叫び出している、そんな悲しい叫びに聴こえてならない現実が今ここにあるように思えてなりません。

 小林多喜二に再び脚光を浴びせている今の世相をかんがみると、何だか昭和初期に出たこの本のような、これから暗くなるぞ、という世の中を暗示しているような気がして、私はどうにもこうにも暗い気持ちになってしまいます。明日はわが身、追い詰められた心境は今や中産階級は誰もがそうだと思います。

 それでも希望を心根で持つこと、青臭いことですが、何だかんだ言ってもそこが最も大事なのです。それはこの本も少しでも希望を見いだそうと、叫びながら出した本なのかも知れないのだから。幾ら倒れたとしてもまたこうして再び出会えるのだから。

(記者:安藤 剛士)

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