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2008年08月27日(水) 12時03分

バリアフリーに潜むバリアオーマイニュース

 盆の時期に墓参りに行った。

 古くからある霊園は、その多くが段差だらけであり、また、通路も狭く、足下も非常に悪い。歩行困難者やお年寄りには、墓参りに行っても墓前に線香や花を自分の手で、たむけることもできない状況だ。

 段々とお年寄りの足が遠のいていくのも仕方がないだろう。

 そんな諸事情を考慮した最近の霊園は、高齢社会を反映してか、階段も少なく、角度に問題があるにせよスロープ化になっているところも多くなってきた。墓の造りも多様化し、墓前に車椅子で行けて、線香や花を自分の手でたむけられるようなものもある。

 霊園側も、一種バリアフリーを売りにしてビジネスを展開しているようだ。

 バリアフリーは確実にビジネスとしても社会に深く浸透してきたと言うことだろう。非常に良い傾向だと思う。

 しかし、所詮、設計する側、管理する側の憶測でしかない完璧性を求める余りに、つい、うっかりしてしまうのだろうか、トマソン(意味のない)ホリックが必ずある。

 写真は、町田市メモリアルパークの多目的トイレである。

 見ておわかりのように、手すりにトイレットペーパーが隙間無く並べられ、その本来の用途を成していない。便座からの距離も遠く、手すりがないのと同じである。

 他の施設で、手すりにタオルなどの洗濯物を掛けてあるのを見たことがある。本来、歩行困難者の身を助け、それを守るべき手すりが、かえって危険を招いているのだ。

 場所が霊園というだけに怪我でもしたら笑えない。

 やはり、物理的なバリアフリーよりも、「何のための」という視点に立てる心の教育が必要だと再確認した。

(記者:関根 善一)

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