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2008年08月26日(火) 12時09分

摩耶山に登って聞いた、六甲四方山話オーマイニュース

 阪神間の後背に連なる六甲山系は、その最高峰でさえ、標高わずか931メートルと1000メートルにも満たない低山である。が、この六甲山こそは、日本の近代登山の発祥地でもある。

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 もちろん、山登り自体は日本にも古くからある。しかしそれは、生活の必要にせまられた山登りであり、そうでない山登りであっても、多くは信仰のためであった。

 運動のため、自然を楽しむため、あるいは単に「そこに山があるから登る」のだ、といったいわゆる「登山」という概念で登りだしたのは、西欧の人たちである。

 そして彼ら西欧人が、神戸の居留地に住むようになって、そのすぐ後背にある六甲山は、格好の登山の場となった。そのため、六甲には以下に挙げるような、カタカナの地名が多い。

 「シュラインロード」(社の道)、「トエンティクロス」(沢を20回クロス=渡渉する道)、「アイスロード」(氷を運ぶ道)、「シェール道」(人名由来)、「ロックガーデン」(日本最初の岩登りクラブRCCのホームゲレンデでもある)、「キャッスルウォール」(城壁)、変わったところでは、「アゴニー坂」(語源は不明だが、一説にはあごがひざ=ニー=につくぐらい、急な坂という日英複合語だとも)等々である。

 一方、そのハイカラ語とは別に、生活の道としての、「魚屋道」(ととやみち=有馬温泉に鮮魚を運んだ行商道)、「石切道」(御影石を搬送した道)、など古来の地名も無論多く残る。

 そして面白いのは、「徳川道」。幕末、神戸が開港され、幕府は外国人との無用のトラブルを避けるため、大名行列用に間道(バイパス)を設けた。が、実際には利用されることもなく、明治維新をむかえた。そして今その道を、私たち登山者が利用しているのである。

 ということで8月19日、記者はその徳川道を通って、摩耶山に登ってきた。そこの天上寺というお寺にお参りしたとき、ご住職より、いろいろお話を聞くことができた。

 まず摩耶山の由来であるが、お釈迦様の生母「摩耶」(まや)から来ている。従って正式には佛母摩耶山だとのこと。キリスト教でいえば聖母マリアにあたる存在だ。

 寺の開山自体は、大化2(646)年にインドの高僧、法道仙人が、孝徳天皇の勅願によって建てたものである。その後、弘法大師が唐から帰られた折り、摩耶夫人(ぶじん)像を持参し、この寺に安置されたというのが、摩耶山の由来である。

 そんな興味深い話を聞き、ロープウェー山上、星の駅前・掬星台(きくせいだい)広場に出た。

 掬星台の由来は、古しえの人が、星があまりにも近くに、手で掬えるように見えたからとか。眼下に広がる神戸の街並みは、残念ながらもやがかかって、イマイチだったけれど、吹く風は涼しく、連日の猛暑からしばし解放された。

(記者:斉喜 広一)

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