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2008年08月26日(火) 12時04分

ソフトボール vs 水泳──メダルの価値を考えるオーマイニュース

 五輪にソフトボールが導入されて以来、金メダルを欲しいままにしていた米国の牙城を、ついに日本は打ち倒した。

 この偉業は、北島康介選手などの水泳陣や女子柔道・レスリング勢などの活躍で沸いた前半戦以降、いささか盛り上がりを欠きつつあった日本中を、再び沸騰させた。

 今回の金メダルに対する日本の執着心は、桁外れに強いものだった。これには、常に米国の後塵を拝していた五輪の歴史と、ソフトボールが今回限りで五輪種目から除外されるという背景があった。それだけに、悲願の金メダルを首に下げた時の彼女らの喜びようは、尋常ではなかった。

 ところで、五輪のソフトボールの登録メンバーは1チーム15人。ソフトボールなどの球技では、メダルは決勝に出場した選手ならず、規定の登録選手全員に対して与えられることになっている。いかに日本は予選リーグや決勝トーナメントを通じて、投手以外、固定メンバー中心で戦ってきたとはいえ、チームはレギュラー選手だけで成り立つはずもなく、その意味からも、金メダルは、登録された15選手全員に与えられるというソフトボールなどの球技でのこの考え方は、至極当然と言える。

 一方、陸上や水泳のリレー競技。これらは、実際に試合に出場する選手は4名だけだが、選手のコンデションや決勝まで複数の試合があるという競技運営上の事情などから、4名以上の選手登録が認められている。

 例えば水泳競技。今回の水泳の目玉は、米国のフェルペス選手の8冠であった。彼がこの偉業を成し遂げるか否かかが、水泳競技ならず、この五輪での最大の関心事であった。このような状況の中、彼は、こともなげにこれを成就した。超人的な彼のこの離れ業には、天晴れというほかない。

 言葉では簡単に8冠というが、個人種目6競技にリレー競技2種目である。しかも、個人種目は予選、準決勝、決勝があり、リレーは予選と決勝で、彼にかかる心身の負担は想像を絶するものだったに違いない。このため、リレー競技の予選をリレー要員で賄おうとする米国水泳チームの戦略は、大方の人が理解できたと思われる。

 案の定、800メートルリレーは、予選と決勝では選手が大幅に入れ替わっていた。言うなれば、予選要員と決勝要員の分業、とでもいうところだろうか。結果、予選も決勝も出場した選手は、べレンズ選手だけで、あとはフェルペス選手はじめ3選手は、決勝だけ泳いで金ダルを勝ち取った。この傾向は、400メートルメドレーリレーではさらに顕著で、予選と決勝の選手が全員入れ替わっている。

 これはもちろん、米国の選手層の厚さがあるからこそできる業で、ほかの国ができる芸当ではない。その証左に、800メートルリレーでは、決勝メンバー3名を欠く予選要員が五輪新記録で決勝に進出を決めている。

 しかし金メダルは、決勝に出場した選手だけに与えられる。

 残念ながら、予選で泳いだ選手には与えられることはない。この点がソフトボールとは決定的に違うところだが、心情的にはなんとなく割り切れない。

 それでは仮に、予選要員が予選で敗退した場合、一体どいうことになるだろうか。当然ながら温存した決勝メンバーがいかに記録的に優れた選手であっても、決勝に出ることはできない。この理屈で言えば、決勝にだけ出た選手が金メダルを取ることができたのは、予選を通過した予選要員の選手がいたから実現したわけで、決勝メンバーだけの力ではないことが分かる。

 このことは、図らずも8月24日、日本テレビ系列の「サンデー」に出演した女子ソフトボールの斉藤春香監督が身をもって示してくれた。番組から、日本チームを一言で表す言葉を問われて彼女が示したフリップには、「一心組織力」と書かれていた。

 勝負の世界は非情だと言えばそれまでだが、リレー競技の場合、少なくとも決勝メンバーと予選メンバーが異なる時は、全員をメダルの対象者にするべきではないか。

(記者:藤原 文隆)

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