記事登録
2008年08月24日(日) 00時00分

(下)事件主導の有無 争点に読売新聞

小諸市の「紀元会」施設。奥は集団リンチが行われたとされる大和紀元会館(昨年10月15日、本社ヘリから)

 昨年11月15日、長野簡裁の法廷に、拘置理由の開示を求めて姿を現した窪田康子被告(50)(傷害致死罪などで起訴)は、やつれた表情で着席した。裁判官に職業を問われ、「無職です」。宗教法人「紀元会」の責任役員であることから、裁判官が「団体役員では」と指摘すると、「名前だけです」と答えた。意見陳述では「風邪をひいても取り調べられ、ちっとも私の話を聞いてくれない」と、何度も涙をぬぐった。

    ◇

 紀元会の集団リンチ事件を巡っては、傷害致死罪や傷害罪などで起訴された26人のうち、20人に長野地裁で判決が出ており、すべての判決が「窪田被告の主導」と認定した。

 これまでの判決によると、昨年9月24日夜、「大和紀元会館」内で行われた「反省会」で、すし店経営奥野元子さん(当時63歳)の二女(27)が数年前に窪田被告の長女にコンドームを渡したとして、窪田被告が責めたのをきっかけに、多数の会員が二女に暴行を加えた。その後、窪田被告が「責任は親にある」と、元子さんを連れてくるよう指示し、元子さんへのリンチが始まったと認定している。

 元子さんらへの暴行に加わり、懲役4年の判決を受けた女性(55)は公判で「康子さんに逆らうと、(会の)勉強会にもお参りにも行けなくなると不安だった」と証言。懲役6年の判決を受けた女性(53)も「暴行しないと後で(窪田被告に)責められると思った」と語った。

    ◇

 小諸市での中学時代の同級生は、窪田被告について「元気で誰とでも話す子。クラスをにぎやかにするタイプだった」と話す。妹、松井五十鈴氏(36)が「お世継ぎ様」と呼ばれ、小学2年から学校に通わず家庭教師に付いてもらったのに対し、窪田被告は友人と登下校し、県内の高校に進学するなど、「普通の女の子だった」。

 紀元会創設者で、父親の松井健介氏が2002年に亡くなるまでは、埼玉県に住み、夫(53)が社長を務める紀元水入り化粧品などを販売する会社を手伝っていた。近所の人は、2人の娘を駅まで車で送り迎えしていた姿を覚えている。「活発で教育熱心な母親」という印象だった。

 健介氏の死の前後、小諸市に移り住んだ。会の「勉強会」では、五十鈴氏の隣に座り、会員からの質問に答えるようになった。

    ◇

 元子さんの長女(38)は公判で「(窪田被告から)母は目の敵にされていた」と証言した。昨年春ごろ、元子さんのすし店の新メニューについて、窪田被告から「(紀元会の関連会社の)中華料理店のメニューをまねた」と非難され、家族ぐるみ勉強会に出席できなくなった。その後、家族の出席は認められたが、元子さんは、窪田被告から「あんたは絶対に入れないからね」と言われたという。

 紀元会を「カルト教団」と呼び、「動機は窪田被告の暴力による教団支配」と主張する検察側を、窪田被告の弁護士は「虚構を作りあげた」と批判する。そして、窪田被告が主導的な役割を果たしたことを否定し、「元子さんの二女の行為に会員が怒ったことによる単純な内輪もめ」と主張する。

 26日からの窪田被告の公判では、その指示の有無が争点となる。

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/nagano/feature/nagano1219482686839_02/news/20080823-OYT8T00655.htm