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2008年08月22日(金) 13時22分

運命のインドビザ、いざイスラマバードへオーマイニュース

<前回までのあらすじ>
 地球一周40000キロを自転車で走る。壮大な夢を抱いて僕は世界へ飛び出した。パキスタン第2の都市ラホールに到着、土着の宗教観が息づくスーフィーダンスに圧倒される。

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 僕はラホールに自転車など荷物を預け、ラワールピンディに滞在していた。ピンディは首都イスラマバードに隣接した街。人工的に建設されたイスラマには手ごろな安宿がないため、ビザ手続き等の都合で首都に用事があるバックパッカーはピンディに宿をとるのが常だった。

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 人口70万のピンディは蛇行する川を挟んで、雑然とした旧市街と碁盤目に区画された新市街に分かれていた。ラホールに比べるとこぢんまりとした街だったが、さすがは首都圏、航空会社のオフィスや外資系の店舗が軒を連ね、髪を風になびかせて歩く女性たちの姿があった。

 旧市街の一角には新疆料理店があった。ラグメンと呼ばれるウイグル式の麺料理を出すことで、日本人旅行者の間で評判の店だった。ケバブばかりのイラン、カレーのみのパキスタン、その限られた食生活で体調を崩していた僕にとって、きしめんのような麺に肉野菜炒(いた)めをかけたというその味は、極めて新鮮だった。出されるお茶も甘ったるいミルクチャイではなく、さっぱりしたジャスミン茶。胃腸にも優しく感じられた。

 ピンディ滞在中の懸念はビザである。5月の銃撃戦以来、印パの関係は緊張していた。僕がイスラマを訪れたのは、もちろん次なる国インドのビザ申請のためだった。テヘランでの取得を見送りイスラマに賭けたのだが、無事にビザがもらえるのか希望の6カ月滞在が許可されるのか、気が気ではなかった。

 国境を幾つも越えていく長い旅をする旅人にとって、ビザは最大の不安材料である。取得にお金と時間がかかることもさることながら、政治情勢や外交関係によって、いとも簡単に発給が停止されたり制限されることがあるからだ。インドビザも通常なら6カ月のマルチプルが発給されるのだが、この数カ月間、1カ月しか取れない、あるいは3カ月が上限だと、さまざまな噂(うわさ)が旅行者の間で飛び交っていた。

 僕は無事に6カ月のビザが取得できたら、来年の春まで冬の間をインドおよび周辺国で過ごすつもりでいた。半年後、暖かくなってきたらパキスタンに戻り、情勢が許せばアフガンに寄り道、5月のカラコルムハイウェイ開通を待って、いよいよ中国を目指す算段だった。インドと中国の間に外国人に開放された国境はなく、東に進んでミャンマーも陸路での入国はできない。シルクロードを自転車で完全走破するには、カラコルムハイウェイを越えるのが唯一の方法だった。

 ラワールピンディの街にさしたる見どころはなく、ビザ待ちといっても、ほかにすることはない。新疆料理店でラグメンを啜(すす)ることだけを楽しみに、僕はじりじりと過ごした。

  2日後、いざイスラマバードへ。ピンディとイスラマの間は、バランという国営会社のバスが頻発していた。宿からほど近い白いモスクの前にターミナルがあった。すっきりとした外観のバランバスは車内も清潔で、首都に通う通勤客や学生たちで混(こ)んでいた。ほかの都市ではまったく見かけないスーツ姿の男性も多かった。バスの中には仕切りがあり、そこより前は女性客専用となっていた。切符を売る車掌だけが仕切りを越えて行き来していた。

 午前10時インド大使館に到着。早速2800ルピーの手数料を支払うが、受領(じゅりょう)は午後2時だと言われた。日本大使館で新聞を読み、昼食をとって、2時に再訪すると、当然のように3時まで待たされ、そしてやっと名前を呼ばれた。

 「ミスターキフネ」

 女性の係員が僕のパスポートを突き出した。僕はその場でページをめくった。真新しいインドビザのシールはすぐに発見できた。有効期限の欄に《15.1.2003》の手書き文字があった。

(3カ月ビザじゃないか)

 僕は落胆した。「6カ月の申請をした。6カ月もらえると聞いた」

 とっさにはったりをかけた。

 「…………」

 女性係員は僕の顔をじろりと見て、僕のパスポートを手に取った。

(ダメだったか)

 ほんの数分待たされている間に、僕の思考はぐるぐると回った。6カ月が無理となると、ネパールかスリランカで再申請をする必要があった。しかし短期間で2度目の申請は却下の可能性がある。今後の旅行計画を全面的に見直さなくてはならない。

 と、男性の係員が現れた。彼は僕のパスポートを持っていた。おととい僕が「6カ月マルチが欲しいんだ」と言った相手だった。パスポートを受け取った僕は、恐る恐るそのページを開いた。色違いのペンで「1」が「4」に書き換えられていた。来年4月まで有効の6カ月ビザ!

 僕は驚いた。まさか抗議が受け入れられるとは、正直思わなかったからだ。

<次回予告>

 多くの旅の仲間たちに囲まれながら、ふと感じてしまうチャリダーの孤独。ついに第100話。(8月29日ごろ掲載予定)

(記者:木舟 周作)

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