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2008年08月21日(木) 16時25分

北京五輪とちびっ子たちツカサネット新聞

北京五輪も既に終盤。各新聞やテレビ等マスコミは、早々に総まとめやスペシャル番組を8割方作ってしまっていることだろう。日本と開催時間のズレは少ないとはいえ、視聴者もそろそろ脱状態になっているかも。

前半一週間はちょうど盆休み週だったということもあり、自宅でお茶の間観戦した一般市民は多かっただろう。多くの競技が並行して行われているため、タイムスケジュールをチェックしながら、チャンネルをせわしなく変える風景が目に浮かぶ。

既に「女子の活躍が目立ちます!」と言われているが、開会式翌日の競技初日の、「谷、ママでも金ならず」は、日本の多くのママたちを落胆させたに違いない。3児の母である私も例に違わずとても残念だった。

しかし、「ママでも金」なんて、果たして本人からなのか、または誰かから言わされたのか定かでないがそのフレーズを、日本発祥の競技、柔道の第一人者の谷が言い続けてくれたおかげで、他国にはいかに「ママでもメダル」な選手がたくさん存在するか、多くの人に気づくきっかけを与えてくれた。これは大きな意味がある。日本女性の結婚出産観を変える要因になるのではないだろうか。

旗手に抜擢された福原愛が出場の卓球は、男女ともに前半の団体戦は、どれもギリギリの試合の連続。卓球ってこんなに興奮するスポーツだったんだと再認識した人も多かったことだろう。最も印象的だったのは、女子の香港(ランキング3位、日本は5位)戦。2試合を逆転で取り、最終5試合目シングルス平野選手の鬼神度だ。拳を突き上げ相手を威嚇しランキング格上の相手を圧倒した。

また、同じく、アイドル、オグシオぺアが出場するバドミントンも、彼女らの陰に隠れたスエマエ(末綱・前田)が中国人ペアに金星を挙げた一戦の振り切りぶりには大喝采であった。

チーム競技については、実力通りの展開で、男女バレーも女子ホッケーも振るわなかったのはしょうがないと思われるが、予選でかなり苦戦している星野ジャパンに対して、メダルが確定した女子ソフトボール、全敗の反町ジャパン尻目にベスト4に進出したなでしこジャパンの、前に前に、という女子のガッツな感じは、とても爽快である。

女子の活躍は確かに目立つし、女子選手のかっこよさ、潔さは、ここ数大会で最も際立った印象がある。男はどうした!と言いたくなる中で、気を吐いている、という表現はおそらく適切ではないのだろうが、平成生まれ近辺の、10代、20代前半のちびっ子たちだ。

柔道金メダル石井、体操銀メダル内村、卓球の水谷、岸川など。彼らの共通点は、こんな大舞台でも「ほとんど緊張しない」ということ。また、結果は出せなかったが、陸上女子短距離競技に日本から56年ぶりに出場した福島千里も含め、まさに、平成しか知らない世代。私たち昭和生まれ世代の人間と、意識が全く違うのかもしれない。社会人ならKYと言われそうな彼ら。スポーツ界の世代交代代表格だ。次大会で今以上に力を発揮できるかで、真価が問われる。今から楽しみである。

ちびっ子たちと対極にあるのが、アテネ組(もしくはそれ以前の大会から)の実績組、ベテラン層だ。柔道、女子レスリングについては、アテネ組が結果を出したし、水泳も、終わってみれば、アテネ組がメダリストとしておさまったが、注目されていたハンマー投げ室伏、400Mハードル為末、200M末継、マラソン野口みずき、土佐玲子もしかりの陸上については、著名選手は全員と言っていいほど、この4年で満身創痍となり、棄権や一発敗退など、全く振るわなかった。

スタート時の顔も、見ていられないほどであった。結果を出した者もそうでない者も一様に口にする、「この4年間いろいろあって、辛かった、苦しかった。」との言葉を聞くと、その背後にある経済的な問題、スポンサーや、メディアなどの要因が透けて見えて、見ているこちらが苦しくなるほどだ。自らの求道が他人のものになってしまっている感。といっても、現状は、お金がなければ、スポーツなどできないし勝てない。

賞味期限が極端に短いスポーツ選手、特に三十路に入ったまたは近い「いい年」の選手たちは、先の見通しがたたない不安とも闘いながらの鍛錬だ。彼らに、伸び伸び、とか、楽しんで、などとの声掛けは、かえって酷なことなのだろう。まだ社会に入るか入らないくらいのちびっ子たちが「緊張せず」に活躍することも当然ではある。

しかしこれら惨敗の結果にも、目立った大きなバッシングなどがない日本だ。一部、ネット上では結果を出せなかった選手への苦言等がざわめいているようだが、以前のサッカーW杯敗戦後の空港に到着した選手への水かけや、QBK(急にボールが来たので)などの言葉が流行るなどの、茶化しも入った批判など、少し前まではやや激しかった言動行動が、すっかり影を潜めている。

中国のスーパースターハードラーが、棄権した途端に非国民呼ばわりされていることと比べると、日本も、度量が大きくなったのか、または、そこまで他人にいれこまなくなったのか、いたってマイルドに、お行儀よく応援している、という状態だ。これは、国民意識の成熟の過程というべきなのだろうか。

「たくさんの応援と支えてくれた人に感謝」
「自分なりに精いっぱい」…

こんな試合後コメントが、この北京では日本選手の合言葉のように、多く聞かれたが、それがはったりでもなく、真の気持だと画面上からも伝わってくるので、どの選手が、何度同じように言おうと、涙してしまう日本人は筆者だけではないはず。

先日、商業施設のスポーツ店の前を通ると、特設として、五輪の結果、などのトピックス含めた掲示物がたくさん貼ってあるホワイトボードがあった。それをチラ見して、「ええー。北島って、二つも金メダルとったのー?知らなかったー。」などと大声で話しながら過ぎ去っていく高校生位の女子2人組を見かけた。

水泳の北島二冠二連覇は、街では号外が出たほどのニュース。しかもそれは二冠達成の数日後であった。彼女らにとっては五輪なんて、いつもの番組がなくなって、ちょっと邪魔くさいイベントなのかも、と感じた次第である。まさに平成生まれのちびっ子たち、根性や努力、汗と涙なんて、無縁か?


(記者:チカラハハ)

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