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2008年08月21日(木) 16時20分

【オリンピック】シンクロの闘将・井村ヘッドコーチの大きな力ツカサネット新聞

アテネ五輪後に引退した立花美哉、武田美保の後継ペアとして期待されていた北京五輪のシンクロナイズドスイミング、デュエットで鈴木絵美子、原田早穂組が中国を抑えて銅メダルを獲得した。

シンクロといえば、そう競技に詳しくない私でも「日本シンクロの母」と呼ばれている井村雅代さんがすぐ思い浮かぶ。スポーツニュースなどでその練習の厳しさを取り上げていたシーンがそうさせるのだろう。その井村氏がアテネ五輪を最後に退任し、2006年、中国からのオファーを受諾。北京五輪で日本シンクロを率いる金子正子チームリーダーにとっては、井村vs金子の戦いでもあった。

井村氏が中国のオファーを受けたのには、それなりの事情と井村氏自身の考え方があったようだ。シンクロの顔として、ある意味、選手以上に目立つ存在であったことは間違いない。日本のシンクロは、井村氏とともに歴史を刻んできたと言ってもいいだろう。1978年のベルリンで行われた世界選手権から27年間代表コーチを務め、84年にロサンゼルスオリンピックでシンクロが正式種目になってからオリンピックでは、ずっとメダルを獲得してきたその立役者である。手塩に掛けて育てた選手も数多い。

立花・武田ペアがアテネ五輪で銀メダルを取ったのを見届けるように、ともに勇退。しかし、そんな名コーチであるにもかかわらず、その後の日本での待遇は、冷ややかだった。ヘッドコーチから監督へ昇格するのでは?と様子を見ていた中国から「今、どういう立場なんだ?」と聞かれ、オファーへとつながったらしい。今のようなグローバル社会の中で、スポーツは、シンクロのみならず、日本人だから日本でコーチをするのが当然だという考え方は成り立たない。流出を避けたいのであれば、やはりそのコーチのモチベーションを引き上げることも大切だ。異常事態だということで、当時、かなりバッシングもあったが、結局、井村氏の心は変わらなかった。名コーチの使い方が下手だった日本に愛想をつかせたのかもしれない。

去年、雑誌のインタビューに答えていた言葉に「節目節目で中国から声がかかったり、人生って楽しいじゃないですか。」と自分の人生そのものを楽しむ姿勢と「真剣勝負でないところでは、なんか自分が燃え尽きれない。私はロシアと戦ってきたという自負があるから、最終的には、私が断ったらロシアのコーチが中国に行くのが分かっていたのね、それがどうしても許せなかった。それをやられたら、永久にね、私が生きている限り日本のシンクロはロシアに勝てないと思ったんです。だからすごい後悔するだろうと」と、闘将の横顔がのぞく。まさに身を削るようにシンクロと向き合い、選手達と向き合ってきた人生なのだろう。運も強い。運を掴み取る才能もある。自分を信じているからこその行動だったと思う。

決して国のためではなく、自分自身のために、そして、自分を信じて厳しい指導にもついて来る未来のアスリート達のために闘っている。だから、その舞台は、日本でなくても良かった。自分の信じる道を真っ直ぐに歩けるのであれば、勝負を賭ける。その証明として、最近の中国の台頭は、とても顕著だ。今回メダルは逃したものの、中国の双子の蒋姉妹の演技は彼女らの美しさを知り尽くした演技だった。前しか見ないという井村氏だから、これからまた新たなコーチと選手の二人三脚が始まるのだろう。きっと素晴らしい選手に磨かれて、また私達の前に現れるだろう。

「敵は己の妥協にあり」そう言い切る井村氏。厳しいコーチの顔と練習を離れ、母のような優しさと心配りで選手の心を射止める。優れた指導者のもとには、必ずいい人材が育つのは、間違いない。そこには、強い師弟の絆があり、信頼関係がある。しかし、驚くことにシンクロの日本人コーチの海外流出は多い。日本の高い技術を外国人選手に教えることで、シンクロ全体がレベルアップされ、活性化するといえるが、そうなると日本人の戦い方が今後、見直されてもくるだろう。手足の長さという点では、やはり日本人は見劣りしてしまう。より日本人らしさを引き出すために金子コーチがどんな秘策を練ってくるのかも今後、楽しみなところだ。女の戦いは、どこまでも熱い。

(記者:halfmoon)

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