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2008年08月20日(水) 15時09分

五輪選手に対する反応はこれでよいのか?ツカサネット新聞

北京五輪もいよいよ佳境を迎えつつある。
北島の2大会連続金メダルなど明るい話題も多いが、主力選手が怪我が多いのも特徴的な大会となっている。

ここで日本女子マラソン代表の土佐礼子のリタイアと中国の国民的英雄である劉翔の棄権に対しての両国民の反応を比較してみたい。

まずは無念の途中リタイアとなった土佐礼子の場合。理由は外反母趾をわずらっていたとのことであり、足の激痛に耐えられなくなったことが原因だ。それに対してのネットでの反応は

「ギリギリ出場枠から落とされた選手たちの思いは…なら、早めに申告して手を打つべきだったのでは。」
「土佐選手が途中棄権したことを責めたいのではなく、もともと外反母趾の持病があり、その不安を抱えたままで(あるいは隠したままで)、北京五輪に強行出場したこと自体に憤りを覚えます。」
「7月に痛いとか言ってんなら・控えの選手に譲れってーの!何が外反母趾が痛い??だよ!その辺のおばちゃんが町歩いてんじゃーねーんだよ!!何でも感動感動って馬鹿か!身体障害者の大会でも見てろ!!」

といった批判的書き込みが多い。一方で陸連の管理責任や、あまりにも激しすぎる代表選考に対する疑問も多い。

では劉翔に対しての中国国民の反応はどうか?彼もまた以前からの持病である足の痛みが悪化したのが原因だ。

「這ってでもゴールまでいくべきだった」
「110メートルは、そんなに遠いのか」
「トンズラの劉」
「敵前逃亡」
「中国の面汚し」

など土佐礼子に対する書き込み同様過激だ。しかし日中で違うのは書き込みだけでは終わるか終わらないかだ。それは行動力のなせる業なのか、ネット社会の浸透力なのかは定かではないが、中国ではネットの書き込みは単なる書き込みだけで終わらない。実際の行動として現れることが多い。

事実、反日運動がネットで誘発されたのは記憶に新しい。「広告に出た製品は二度と買わない」といった書き込みも本当に不買運動になりそうだから恐ろしい。そう言う意味では日本人は違う。怒りや憤りが書き込みとして噴出することがあっても、それが社会的な行動になることは少ない。

悪く言えば行動力がないということでもあるが、逆に言えばネットでストレス発散しているだけともいえなくもない。ただ残念なのは日中双方の選手に対する書き込みはあまりにも少ない情報量(選手の気持ち、状況、おかれた環境など)の中で言いたい放題いっていることだ。

言論の自由・表現の自由は保障されていなければならないが、国民の代表として選手を送り出した以上、マナーと節度を保って観戦し、その上で意見すべきであると考える。


(記者:ごぉるでん)

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