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2008年08月20日(水) 11時27分

オリンピックとヌードの関係オーマイニュース

 オリンピックが近づくにつれて、私はある予想をしていた。それは、オリンピックにかこつけて、きっと誰かが、脱ぐだろうということだ。現役の五輪選手がヌードになって鍛えられた体を披露し、話題になるだろうと思っていた。

 ただ今回は、なかなかそういう情報は聞こえてこなかった。なので、北京オリンピックではもうヌードの話題は出てこないのかなぁと思っていたところ、アテネオリンピックの女子200メートル平泳ぎの金メダリストであるアメリカの競泳選手アマンダ・ビアードさんが、8月6日に北京オリンピックの水泳競技場である国家水泳センター前で自分のヌード写真を発表していた。

 また産経ニュースによると、北京オリンピックへ出場するイギリス代表選手もヌードになっていた。これは、飲料メーカーのキャンペーンらしいが、自転車競技に出場するレベッカ・ロメロさんや三段跳び代表のフィリップ・イドゥーさんなどがヌードになっていた。

 やはり北京オリンピックでも脱ぐ選手は現れた。

 「オリンピックとヌード」の組み合わせは、2000年のシドニーオリンピックのころから多くなったのではないかと思う。1999年、オーストラリア代表の女子サッカーチームが、オリンピックの強化資金を作るためにヌード写真のカレンダーを作った。初版の1万5000部は完売し、トータルで5万部が売れる。(朝日新聞、2000年4月14日)

 このおかげで、オーストラリア代表の女子サッカーチームは、練習の設備も整い、スポンサーもつき、観客動員数も倍増できた。シドニーオリンピックでは、これに続きアメリカの陸上選手や水泳選手、オーストラリアのパラリンピックに出場する選手たちも、強化資金を得るために、男女問わずヌードカレンダーを作っている。

 マイナースポーツに関心を寄せて欲しい。オリンピックに出るための強化資金が欲しい。だから、ヌードになる、という流れは、前回のアテネオリンピックでもあった。日本で現役オリンピック選手がこのような趣旨のヌード写真を作った話は知らない。けれど、日本のオリンピック選手でも、強化資金を調達するために金銭的に苦労をしている選手たちはいる。

■主張するヌード

 今回、ヌードになった競泳選手のアマンダ・ビア—ドさんが脱いだ理由は、毛皮反対をアピールするためであった。なので「強化資金」など競技にかかわる目的ではない。アメリカ国旗の前でバストを隠して立っているヌード写真には「あなたの皮膚だけで充分。毛皮の着用はやめよう」と訴えるコメントが添えられている。オリンピックの「場」からそうした考えを広めたいらしく、選手村にポスターをはってまわったそうだ。

 こういった主義主張・社会運動のためにヌードになる話を、近ごろよく聞く。1999年にイギリスで発売され、30万部ものセールスを記録した「婦人会ヌードカレンダー」も、白血病で夫を亡くした友人を励ますために、また、カレンダーの売り上げを病院へ寄付するために婦人会の有志たちがヌードになったものだ。この話は、2003年、「カレンダーガールズ」として映画にもなる。

 日本でも2008年3月に乳がん撲滅のピンクリボン運動の一環として、写真家の蜷川実花さんが人気モデルやタレントのヌード写真を撮った。「オセロ」の中島知子さんがヌードになって話題になっていた。

 また、2007年8月には、地球温暖化に警鐘を鳴らすキャンペーンとして、国際環境保護団体「グリーンピース」が、集団ヌード撮影で有名な写真家スペンサー・チュニック氏に依頼をして、アルプス氷河で約600人の集団ヌード写真を撮った。ヌードになるために集まったのは、キャンペーンに賛同した一般人のボランティアである。

 かつては、「芸術のためなら脱ぎます」と言ってヌードになる人はいたが、10年くらい前から「なにかの活動のためなら脱ぎます」というケースが急増した気がする。そういった動きは、既成のヌード(?)に対するアンチテーゼを感じたり、小気味よさもあってある種、爽快(そうかい)だ。ただし、思いとは裏腹に消費というルートにのってコンテクストが変わってしまう可能性もなきにしもあらずだ。そんなこともあり、常にこの話題は、賛否両論がつきまとう。

 ちなみに、古代オリンピックは全裸で競技が行われていた。もちろん、古代オリンピックは選手も観客も男性だけだった。

(記者:柳川 加奈子)

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