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2008年08月15日(金) 12時03分

敗戦記念日を前に、戦災建造物に出くわしたオーマイニュース

 西武拝島線玉川上水駅を出て5分程西へ行った都立東大和南公園。その建物は、おびただしいほどの生々しい弾痕を残し、公園の奥で戦争の恐ろしさや悲しみを訴えているようにたたずんでいた。

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 近くまで寄ってみると、一気に時間が逆行するかのように、それは迫り来て、人々の叫びや悲鳴、爆音が聞こえてくるような錯覚に陥り、思わず周りを見回してしまった。

 辺りは、錯覚とは裏腹に緑におおわれた公園、こどもたちの笑い声がこだまし、照りつける日差しに意識が飛ぶような気がした。

 一呼吸おいて、もう一度弾痕に目を向けた。この建物を説明する立て看板には「東大和市文化財、史跡・戦災建造物、旧日立航空機株式会社立川工場変電所」とあった。

 説明によると、昭和13年(1938年)に飛行機のエンジンを製造するための軍需工場として建てられた変電所だそうだ。

 外壁に残る弾痕は、太平洋戦争末期にアメリカ軍によって3度にわたって行われた、小型戦闘機の機銃掃射のもので、B-29(大型爆撃機)などの空爆による死者は110余名、および、多くの負傷者も出したという。

 この戦災建造物は、都立公園として整備するにあたり、取り壊される運命にあったが、貴重な戦災建造物として保存し、次代に伝えたいという市民活動や元従業員の熱意が運動となり実を結んだという。

 そして、説明の最後には、こう記されていた。

 「戦後、戦争の傷跡を残す建物は次々に取り壊され、戦争に対する私たちの記憶もうすらいできています。この建物から、戦争の悲惨さと平和への尊さをあらためて受け止めていただきたいと願うものです。平成8(1996)年3月 東大和市教育委員会」

 戦争は、いつも正義とか聖戦という形で行われ、あたかも国民の意思で行われるかのように情報を歪曲(わいきょく)し、何の関係のない人たちが利用され犠牲になる。

 今、平和と共存の祭典とされるオリンピックが開催され、その同時期に、また戦争が始まった国がある。世界的に見ても今もなお、紛争や戦争が絶え間ない。その当事国は戦争とか平和とかいってはいられない状況なのかも知れないが、末端の民は単なる暴力におびえ、わなないているのだ。

 侵略と敗戦を経験したこの国だからこそ全世界に対し戦争のもたらす無意味さと悲劇をいえるのではないだろうか。戦争は、どんな意味があろうと、大義名分に踊らされることなく“やってはいけない”のだ。

 戦争がもたらした利益があるとしたならば、それはひと握りの権力と利権を持つ人間たちなのである。そんなことを思わせる東大和における戦災建造物に見る今日のひとときであった。

(記者:関根 善一)

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