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2008年08月15日(金) 11時09分

2カ月たった無差別殺傷事件の現場からオーマイニュース

 2008年8月7日に都内での用事で近場に来ていたのを利用して、東京・秋葉原の無差別殺傷事件現場の跡に行って参りました。

 2カ月前の2008年6月8日の12時半ごろ、青森県出身の加藤智大容疑者(25)は、たくさんの人でにぎわっていた歩行者天国の人込みにレンタカーの2トントラックで突入、数人を跳ねました。

 その後、容疑者は車を降りると、跳ねられて倒れこんでいる被害者や救護にかけつけた通行人、警察官などを持っていたダガーナイフで刺すなどしました。

 最終的に、容疑者はかけつけた警察官に取り押さえられましたが、わずか5分から10分ほどの間に起きた事件は、10名もの重軽傷者と7名もの死亡者を出す未曾有の大惨事となり、世間に大きな衝撃を与えました。

 あれから2カ月。自分が訪れた事件現場は、人通りも相変わらずの上に、あちこちで建設の槌音(つちおと)が響くせいか、あのような悲惨な事件があった現場とは思えない活気にあふれているように見えました。

 ただ、撤去された献花台跡の周辺だけは、妙に人けが無く、そこだけは、どこも人で一杯という秋葉原らしさが薄れているような感じがしました。

 記者は献花台跡の前で手を合わせた後に、通行する人たちに、今、あらためて事件のことをどう考えるか話を聞いてみようと思いカメラ、マイク、名刺を片手にインタビューを試みてみました。

 しかし、30数名ほどに声をかけてみましたが、誰もインタビューに答えていただける人はいませんでした。

 それは良いのですが、あまりにも悲惨な事件であるために、それに関して語ることすらできないという感じで口を閉ざしていた数名を除いて、大多数の人は既に事件のことなど記憶に無い、自分とは無関係であるといった風情なのが非常に気にかかりました。

 あれほどの大事件であっても、秋葉原の街では既にその記憶は風化しつつあるかのようです。

 それが東京、しかも秋葉原という変化の早い街の持つ、復元力の表れなのか、それとも、都合の悪いことはすぐ忘れてしまえる、日本人の精神の特性なのかは分かりません。

 しかし、このように早く忘れてしまうようでは、再び、何らかの事件が起きた時に、被害を防げるとは申しませんが、最小限に抑えるようにすることができるでしょうか? 記者は、そのことに関してどうしても胸騒ぎを抑えることができません。

(記者:齋藤 正之)

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