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2008年08月13日(水) 11時24分

国威発揚五輪は北京でトドメオーマイニュース

 中国にとって、オリンピック開催は「100年越しの念願」だったそうだ。ということは、中国に共産党ができるよりも何十年も前からの「夢」だったわけだ。

 その「民族的悲願」である「平和の祭典オリンピック」が、ついに2008年8月8日の北京で「無事に」開幕した。ここまでの道のりは多難だった。

 ギリシャでの「聖火採火式」へのフランス人乱入から始まって、聖火リレーはヨーロッパ各地で「チベットの人権問題」を訴える人々などによる妨害を受けた。

 開幕まで3カ月を切った5月12日には「四川大地震」という大災害に見舞われ、死者は6万人を超えた。

 イスラム教の新疆ウィグル地区では、独立を求める過激派がテロ事件を起こし、「オリンピック妨害テロ」の予告をしている。

 だが、「国威発揚のための北京オリンピック」は、開幕式を終えたところで「大成功」を約束された。

 世界的に著名なチャン・イーモウ(張芸謀) 監督の3年がかりの企画と訓練による「4時間の大スペクタクル・ショー」は、その「質」と「量」において観客を圧倒した。

 「中華文明」の歴史の長さと文化伝統の多彩さを題材とすれば、その「コンテンツ」の豊富さに敵(かな)うところはない。

 いや、「エジプト」は、「インド」は、と言ったところで、「ショー」を実現するための「財力」がない。何万人もの出演者と裏方の「情熱」が足りない。

 4年後の開催地の「ロンドン」の関係者は、いま頭を抱えているのではないか。

 オリンピック本来の趣旨からすれば、開会式の「ショー」は必要ない。しかし、オリンピックをここまで「派手」なものにしてきたのは、ほかならぬ米欧である。

 IOC自身が「商業化」をすすめ、莫大な「カネ」が動く「大イベント」にしてしまった。「共産中国」の「北京」では、それが極まった。

 皮肉なことだが、もはや「原点回帰」しか道は無いだろう。しかし、ド派手な演出に慣らされた世界の「観客」が、それを許すだろうか? 「北京に比べて、みすぼらしい」と感じないだろうか?

 人海戦術とハイテク技術による「壮大華麗な絵巻」を延々と見せられ、石原慎太郎・東京都知事はどんな感想を持っただろうか。東京五輪誘致の動機のひとつとして、「国威発揚」もあげているが、北京五輪の開会式は超えられまい。とすれば東京五輪2016の意義は何か?

 北京後、東京五輪招致について、最大の「スポンサー」である「東京都民」と「日本国民」の意思を再確認すべきだろう。

(記者:安住 るり)

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