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2008年08月09日(土) 00時00分

(11)「忘れられた日本人」がいる読売新聞

とらやのモデルとなった「高木屋老舗」で寅さんについて語る山田監督(2日)

 葛飾柴又寅さん記念館で今月2日、「渥美清さん十三回忌献花式」が行われた。山田洋次監督は献花式の後、とらやのモデルになった団子屋「高木屋老舗」で、「寅さん」について語ってくれた。

 「男はつらいよ」という映画は、なぜこれほどまで日本人に愛され、人々の心を揺さぶるのか

 僕が物語を考え、キャラクターも選んだが、それを引き受けて演じた渥美さんがすごかったんじゃないかな。

 渥美さんは小学校時代、病気ばっかりして成績も悪かった。だから、体が弱くて長期欠席する子供や勉強ができない子供の悲しみを知っている。家が貧しい悲しみも味わって成長した。だからこそ、観客は、渥美さんの四角い顔を見て、人の悲しみ、特に弱者の悲しみを知り尽くした人だと一目で分かるのだと思う。

 渥美さんは、お年寄りとか障害を持つ人、不良少年、そういう弱い人に対する愛情が非常に深かったね。学校や家で精いっぱい突っ張って生きている不良少年も僕は社会的弱者だと思う。そんな不良少年が渥美さんの前に出ると素直になっちゃう。この人は何もかも分かってくれる、この人は味方だと分かるんだね。

 渥美さんのような人、言い換えれば寅さんのような人が世の中にたくさんいれば、(最近の)いろんな若者の怖い事件なんか起きないと思う。

 だけど、すごい人だったな。(第48作の)奄美大島ロケの時、僕が具合悪くなって寝てたら、渥美さんが珍しく見舞いに来てくれた。心配そうな顔して「あなたは大事な人なんだから長生きしないといけませんよ」って。渥美さんは自分が死ぬって知ってた訳でしょ。僕はその時、自分が死ぬ時に渥美さんがそばにいてくれたら安心して死ねると思った。「大丈夫。オレもすぐ行くから。息引き取るまでちゃんと居てあげるよ」と言ってもらえたらと思ったね。

 どんな思いを込めて全48作をとり続けてきたのか

 寅さんという映画で表現することって何だろうって、いつも繰り返し考えていました。一つは、人間は誰でも平等に幸せになる権利がある。あるいは幸せになりたいと願う権利があるってこと。寅さんは争わない人間です。そして、人を差別しない。

 今の世界の紛争は、すべて争うことと差別することから始まっている。ハリウッド映画なんて常に争っているでしょう。主人公がたくましくて、勇気にあふれていて。そういう人間の反対にあるんだ、寅さんってのは。誰にも頼らず、自分の力だけを頼みにのし上がっていくというハリウッド映画に出てくる米国の価値観は、日本人には一番合わないと僕は思っている。和を大事にするというか、自分は生かされているというか。

 寅さんはしょっちゅうケンカをするけど、寅さんが殴る時は血なんて出ない。それは一つの地域で共に生きているという大前提があって、それを認め合ってケンカしているから。「お前、出てけ」と言われて、寅さんが「それを言っちゃあおしまいよ」て叫ぶ。その言葉は「俺(おれ)はタコ社長を殴ったけど、身内のつもりだったんだよ。なのに出て行けと言うの?」という思い。「俺を排除するってのか」という悲しい叫び声なんですね。

 寅さんを若い世代にどのように見てもらいたいか

 ここに「忘れられた日本人」がいるっていう問題を、この映画を見た後で考えてほしい。今はどんどん人と人との関係を断ち切る時代になっている。顔を合わせないでメールでいいじゃないかとか。駅の切符も“ピッ”とやるだけ。コンビニもそう。人と人との関係が希薄な時代でしょ。

 「(人に)迷惑かけちゃダメよ」と今のお母さんは子供に言うけど、寅さんは逆なんだよ。迷惑をかけるべきじゃないか。人が人に。人間ってのは、うんざりしながらも人の世話をする中で、複雑な人間の関係ができていくんだ。

 僕らの学生時代は、学校の掲示板に「同居者求む」って出して、見知らぬ他人と同居するなんてことがあった。それは1人がいいに決まっているけど、1人じゃ(家賃を)払えないから。そういう風に、見知らぬ人同士が、どうやって仲良くなって折り合っていけるかということを色々な場面で昔の人はやってきた。今はそんな苦労、だれもしない。店に行っても駅に行っても声もかけない。でも、ただ黙って過ごすのが、豊かな時代であろうかってことですよね。

     ◇

 「男はつらいよ」という映画の中にある濃密な人間関係。それこそが今の日本で失われつつある一番大切なものなのだと、寅さんは教えてくれている。(おわり。社会部・原口隆則、岩永直子、石井正博、山内健、国際部・加藤隆則が担当しました)

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tokyo23/feature/tokyo231217264378697_02/news/20080809-OYT8T00099.htm