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2008年08月08日(金) 18時21分

【母の教訓】どんな時でも親にはあるがままの姿でいいツカサネット新聞

私にはちょっとした病気がある。10年間、誰にもその話をしなかった。

命にかかわるものでも、人にうつるものでもないが、一人きりで悩み続けて生きてきた時期はとても苦しいものだった。

私を生んでくれた母にさえ、言う事はできなかった。
父が死に、私の兄弟は病気になり、一緒に住んでいた祖母は死んだ。祖母は母の母だった。神様というものが仮に存在するのならば、どうしてこんなに私たち家族だけ苦しめるのかと憎しみさえ沸いてきていた時期だった。

そんな時、私は自分の病気に気がついたのだが、兄弟の病気も続いている中、これ以上母を心配させたくない気持ちが強くなり自分自身の中におさめておこうという決心をつけた。

兄弟の病気は思わしくなく、実に様々なことが起きた。
母は父の姿を彼に重ね、心配し心労しきっていた。病気は必ず治ると信じていたが、今は私はできるだけ明るく元気に頼もしい娘と思われるように、いつしか強い自分を演じていた。

彼が静ならば私は動であろうと。
しかし、月日がたてばたつほど実際の自分と演じていなければならない部分の自分との差がきつくなってきて、もしも空からくもの糸が降りてきてそこに存在するのなら、心臓から生えた手が口から伸び出て糸ですらしがみついていたい心境になってきてしまった。

「もうだめだ・・・・・・本当のことを言おう。」

10年も黙り続けがんばってきたが限界だった。

「お母さん、ごめんなさい。私病気かもしれない。立派に育たなくて、心配かけてしまってごめんなさい。」

思い切って言ってしまった。母はいつものあっけらかんとした雰囲気とはガラリと変わって真剣な表情で私を見つめていた。

「どうして今まで言わなかったの。どんな時でも親にはあるがままの姿でいいのよ。そうじゃなきゃお母さんだって気がつけないじゃない。苦しい時、辛い時、お母さんに頼っていいんだから。」

母の言葉が耳から胸に柔らかく響いてきて、私の冷たかった体を温めてくれた。

コップから水があふれでるように、今まで辛かった事や隠していた事どうしてあの時こんな事をしてしまったのかなど話が止まらなかった。

誰にも話さなかった話。初めて母に話しをした。その後、私自身に大きな変化があった。今までは誰にも言うまいと必死に隠していたのだが本当の自分の姿を友達や大事な人に話すことができた。

苦しみや悩みを人に話すと気持ちが軽くなるというのは本当かもしれない。スーっと肩の力が抜けたように素直にあるがままの自分になれた。

親に対してあるがままの自分になれると不思議と親友や友人に対しても本当のことを打明けれる心の状態になった。幼馴染でもある友人には何でも話しをしてきていたがこのことだけはできなかった。友人であり親友、時には姉妹のように感じていた。

悪い事も楽しい事も一緒に経験して大人になった。自分が少し情けなくて話ができなかったが、打明けてみると「実は、私もね・・・・・・」と自分も病気だったことを話ししてくれた。彼女はいつも元気で明るく私は気がついてあげる事ができなかった。おそらく私が彼女に抱いている固定観念も良くなかったのだろう。

彼女は元気で明るくをがんばって装っていた時もあったのかもしれない。お互いがあるがままの自分の状態を話し合えた時心がとても軽くなった。

「そうか、私だけじゃなかったんだ。」

心配かけさせたくない。元気な姿の自分でありたいと思うがあまり私は不自然だったのだと思う。

もし自分ひとりきりで悩みや苦痛を抱えている人がいたらまずは何も考えずに親に話してみるのも良いかもしれない。すべての親がそうだとは言えないが、自分が考えている以上に親は子を愛してくれている。そして大きな胸で受け止めてくれる。

10年間一人で苦しくなかったと言えば嘘になる。
病気はよくなったわけではないのだが今はあるがままの自分であり、糸にすがりたい気持ちもなくなった。

下ばかり見て空をゆっくり見る余裕なんてなかったが横になって見上げた空の青さや大きさに安心する心が持てた。あるがままの姿で自由に流れる雲たちもどこまでも続く大きな空があるからゆったりと流れていられるのだろう。

(記者:みみなでしこ)

■写真
写真撮影:みみなでしこ記者

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