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2008年08月08日(金) 12時13分

インダスの恵み、1杯の緑茶に涙するオーマイニュース

<前回までのあらすじ>
 地球一周40000キロを自転車で走る。壮大な夢を抱いて僕は世界へ飛び出した。長かった砂漠地帯に別れを告げ、インダス川流域へ突入、モエンジョダロ遺跡を訪れる。

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 9月30日、サッカルを発(た)つ。中央分離帯のある片側2車線の立派な道、カラチとラホールを結ぶこの国随一の幹線道路である。田園地帯が切れ目なく続いた。集落も多かった。大きな町が現れると道はバイパスとなって迂回(うかい)し、次の町を目指した。交通量は多く、ところどころ工事区間はあったが、非常に走りやすかった。

 もっとも幹線道を利用するのは自動車だけではない。歩行者も、自転車も、バイクも、馬車も、そして牛たちも、みな同じ道を往(ゆ)く。自分ががんばる自転車はともかく、人間に命令され、がんばりを強要される家畜は大変そうである。

 荷車を引く動物はいろいろだったが表情には個性があった。牛はいつも疲れて辛(つら)そうな顔をし、馬やロバは運命を諦(あきら)めているかのような悲しい顔で、ラクダだけがなぜかのんきにほほ笑んでいるように見えた。

 僕が自転車で追い抜いていくと、御者によっては対抗心を燃やし、彼らの尻をたたく者がいた。鞭(むち)を入れられ、走らされる白い牛が、「お前のせいだ」と恨めしそうに僕をにらんでいた。

 体調はいまだ万全ではなかった。卵ゲップは収まったものの下痢は続いていた。しかし、インダス流域に来て以来、水の味は良くなった。バロチスタンのように明らかに妙な味がするということがなくなった。

 また、集落が絶えまなく続くのは、水や食料の補給がしやすいという点でもとても有り難かった。バムで買った8リットルの水タンクは用済みになった。休みたいときにすぐ、次の集落、売店、あるいはガソリンスタンドが見つかった。日陰も多かった。

 難点もあった。それは静かに邪魔されず走りたいと思うときであった。パキスタンの人々はみな陽気で人なつっこい。気軽に話しかけてくる。孤独な外国人旅行者にとってそれは嬉しいことであったが、同時にうるさく感じられてしまうこともあった。とりわけ体調の良くないとき、それでも必死に自転車をこいでいるときに、自転車やバイクで並走され、一方的にウルドゥ語でまくしたてられるのにはいささかへき易した。

 「うるさいな。先、行ってくれ」

 僕は時に怒鳴ってしまうことがあった。彼らは一瞬きょとんとした顔になり、しかし、めげずにまた話しかけてくる。僕はいっそうイライラがつのった。

 加えてパキスタンの車は運転が荒い。道幅の狭い区間で、煽(あお)るように幅寄せして通りすぎていく。中でも派手に飾り立てたバスやトラックの運転は激しく、警笛をやたらに響かせ、ブレーキを踏まず、歩行者や自転車を蹴散らすようにして爆走する。

 路肩に逃げず、道を譲らない僕。けたたましいクラクション。同時に何か冷たいものが僕の顔にかかった。水だった。トラックの助手席から真っ黒に日焼けした男が何やら叫んでいた。僕もまた怒鳴り返した。どっと疲れが出た。

 旧市街に建つ聖者廟が印象的な古都ムルタンでは、パキスタン入国以来、初めて日本人に会った。彼もまた下痢に苦しんでいて、香辛料のきついカレーが食えず、果物ばかり食べているのだと言った。久しぶりに日本語を話し、同じ立場の人間を見つけた僕は、少しだけ気分が楽になった。

 露店でマンゴーを見つけた。もうマンゴーの季節はほぼ終わりかけており、数は少なく、値段も高かったが、ケニアやタンザニアで毎日のように食していたことを思い出し、衝動的に買った。やはり旬をはずれているのか、少し固かった。

 ムルタンから140キロ、ラホールまで200キロ。チチャワトニの町で、僕はいつものように街道沿いの茶屋に寝床を求めた。

 「ハロー」

 そこにいたトラックの運転手が話しかけてきた。「クエッタ、クエッタ」と盛んに言ってくる。最初僕は何のことやらさっぱり分からなかったが、どうやらクエッタ付近で1回彼とは出会っているようだった。自転車で旅している日本人なんて珍しいから、向こうははっきりと覚えていたのだろう。

 「チャイ」

 再会祝いというわけでもないだろうが、彼は僕にチャイを勧めてくれた。渡されたカップに口をつけて、僕は驚いた。泣きそうにすらなった。なぜならそれが緑茶だったからだ。

 「シュガー」

 角砂糖を渡そうとしてくれたが、僕は断った。

 「これは日本のお茶と同じだ。日本では砂糖は入れないんだ」

 アフガニスタンでは緑茶を飲む習慣があるという。ひょっとしたら彼はアフガンの出身か、そうでなくともその文化圏に近しい地方の出なのかもしれなかった。

 たった1杯の緑茶が渇いた心に染み渡る。僕は何より有り難く大事に飲み干した。

【2002年10月5日
 出発から24709キロ(40000キロまで、あと15291キロ)】

<次回予告>
 大都会ラホール。女たちの恰好(かっこう)と、男たちの振る舞いに、僕は息をのんだ(8月15日ごろ掲載予定)

(記者:木舟 周作)

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