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2008年08月07日(木) 18時09分

黙祷広告に注目した8月6日オーマイニュース

 1945年8月6日午前8時15分。アメリカ軍のB29による原子爆弾の投下によって、広島市内で多くの人々が殺害され、多くの市民が放射能の影響を後々まで受ける、「被爆者」と言う立場に追いやりました。あれから数十年を経て、広島のある金融機関が、地元の新聞に、原爆による被害を忘れていないことを示す広告を毎年掲載しています。今年もその日がやってきました。

 人類初の被爆地となって63年。今年の8月6日も、広島では4万人以上が平和公園に集い、平和記念式典が行われ、それ以外にも多くの市民が集まって、祈りの1日を過ごしています。

 毎年この日、広島銀行が、原爆によって殺害された多くの人々への哀悼の意を示し、8時15分に合わせて黙祷(もくとう)するよう呼びかける広告を中国新聞の朝刊に掲載しています。

 この広告には、その年の年号、「黙祷 8時15分 謹んで御霊のご冥福をお祈りいたします」と言う言葉とともに、広島市内に点在する原爆に関する記念碑が、毎年ひとつ紹介されているのです。ですから私は、「黙祷広告」と勝手に名付け、どのような記念碑が登場するのかを期待して、その日の朝刊に接するのです。

 今年、広島銀行が指名したのは、自社の本店屋上にある慰霊碑でした。「慰霊」と言う言葉だけが書かれた台座と、木の葉を細長くしたような形のものが4つ連なった碑。足元には、水を求めて亡くなっていった、多くの被爆者のため、グラスに1杯の水。

 慰霊碑そのものは実に単純なつくりですが、原爆投下は、広島銀行が芸備銀行を名乗っていたころの出来事です。

 広島銀行の本店は広島の繁華街のひとつである紙屋町に位置し、原爆が投下されて原爆ドームになった旧産業奨励館にも近かったのです。

 多くの芸備銀行の関係者の皆さんも、多くの人が原爆によって殺害され、生き残った多くの人は放射能に苦しみ、人生が変わってしまったことでしょう。慰霊の2文字には、それだけの深みがあるのかもしれません。

 この黙祷広告は、少女が折り鶴の骨組みを持って仁王立ちする「原爆の子の像」など、原爆に関する多くの記念碑を掲載してきました。来年もひとつの記念碑を掲げ、8月6日の真実を伝えることでしょう。

 広島で多くの人命を奪った原爆は、8月9日には長崎にも投下されています。どの国であれ、3度目の原爆が日本に投下されてはならないと、そんな思いを確かめる1日でした。

(記者:河村 崇)

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