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2008年08月04日(月) 18時13分

本田美奈子が体現したダイナミズムオーマイニュース

 帝国劇場で上演中の『ミス・サイゴン』で、7月30日夜、急逝骨髄性白血病で05年11月8日に急逝した本田美奈子を偲(しの)ぶ特別カーテンコールが行われた。公演終了後に、当夜の出演者全員が舞台にそろい、市村正親のコメントとともに本田美奈子の在りし日の映像が流された。

 92 年の日本初演での本田美奈子のトップアイドルからの転身は大きな話題だった。1万5000人からのオーディションを経ての抜擢(ばってき)、デビュー当時から歌唱力には定評があったものの、音大出身でも宝塚あがりでもないアイドル歌手への不安も事実ささやかれた。おまけに公演開始早々に舞台で大けがをして、いきなりの休演。必ずしも順調な出発ではなかった。

 ところが、今やことあるごとに語られる本田美奈子の『ミス・サイゴン』にかけた思いの深さと徹底したトレーニングの積み重ねは驚くべき飛躍をもたらした。現在入手可能な『ミス・サイゴン』のライブCDで聴ける圧倒的歌唱力と表現力は、天賦の才を強靱(きょうじん)な意志とたゆみない努力とによって磨き上げることで与えられるものの大きさ、深さを如実に物語る遺産である。

 本田美奈子の素晴らしさは、単に歌がうまかったということではない。

 声の色、響きの演劇性といったミュージカルの歌唱に不可欠な諸要素をすべて持ち合わせていたところにその特質があって、聴く者の胸に迫るダイナミズムという点ではほとんど誰も太刀打ちできない域に達していた。

 『ミス・サイゴン』の後持ち役となった『レ・ミゼラブル』のエポニーヌで聴かせた「オン・マイ・オウン」は、その美質が特に際立つものだった。同曲は、やはりアイドル路線から転身した島田歌穂の名を世界に轟(とどろ)かせたナンバーだが、個人的な判断では、それを大きく上回る完成度だったと思う。

 ただ『レ・ミゼラブル』公演での本田美奈子は10割打者では決してなかった。

 せっかく観に行っても出来のよくないことがあり、CDに単発で録音され遺(のこ)されたものからも、ライブで発揮されていた圧倒感を味わうことができない。テレビ出演等でも同様だった。

 今にして思い返すと、そのことを本人がよく知悉(ちしつ)していたからこそ、さらなる精進へとつながり、そうした真摯(しんし)な取組みが結果的にクラシック路線への進出をも実現させるまでになったのではなかったか。

 特別カーテンコールの舞台でキムをつとめたソニンは、よく健闘していたが、残念ながら表現力、圧倒感ともに本田美奈子には遠く及ばない。2004年の再演では、松たか子が、持ち前の演技力に裏打ちされた歌唱で観客を魅了したものの『ミス・サイゴン』の楽曲そのものからくる陶酔感は物足りなかった。

 笹本玲奈、新妻聖子など、後継の者たちの進境の著しさを否定するものではないが、誰で観劇しても本田美奈子が達した域と比較して、その差異を思わずにはいられない。そして、その域はあまりに高い水準なのである。

 今日の日本にあってのミュージカル活況は誰にも予想外のことだろうが、その到来ゆえに演者たちのレベルは間違いなく向上した。『ミス・サイゴン』のアンサンブルの歌唱力ひとつとっても、初演時とは隔世の感がある。裾野(すその)が格段に広がっている。これは東宝の努力はもちろんだが、ほかにも劇団四季のメソッド確立、宮本亜門の登場などさまざまなことの重なりが要因となった結果だろう。しかし、なんといっても、ミュージカルに真摯(しんし)に取り組み、努力することを身をもって体現し、その道半ばで倒れた本田美奈子こそが今の隆盛の真の功労者なのではないだろうか。

 特別カーテンコールのなかで市村正親は「この舞台に立つと、美奈子がそばにいるように思えてならない。一生懸命、美奈子の努力に恥じないよう千秋楽までつとめたい」と語った。初演のオーディションで競いあい、エレンに指名され、今回の公演で同役で復帰し説得力溢れる歌唱を聴かせてくれた鈴木ほのかは終始あふれ出る涙をこらえきれずにいた。初演のころのさまざまな経緯やその後の共演を思い返さずにはいられないでいたのだろう。「15年ぶりに観ました」と話を聞かせてくれた本田美奈子の母、工藤美奈子さんは「すごい舞台でした。おねえちゃんが目の前に現れて、いろいろなことを思い出して、まぶたがこんなに腫れてしまいました」と感極まったご様子。

 確かに帝劇でのミュージカルには本田美奈子が存在する。そして、それはこの先もずっと続いて、さらなる進展の牽引力になって行くことだろう。

(記者:石川 雅之)

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