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2008年08月03日(日) 00時02分

ギャグの神様、本当のナンセンス…赤塚さん惜しむ仲間たち読売新聞

 「これでいいのだ」「シェー!」−−。昭和の子供なら誰でも一度は口にしたような、数々の流行語を生み出した「ギャグの神様」が2日、亡くなった。

 駆けだし時代にアパート「トキワ荘」で腕を磨き、ともに戦後漫画界を支えてきた仲間たちは、「枠を超えた本当のナンセンス」「彼を超えるギャグ漫画家はもう出ない」と、その才能を惜しんだ。

 若手漫画家が集った東京・豊島区のアパート「トキワ荘」で青春時代を共に過ごした杉並アニメーションミュージアム館長の鈴木伸一さん(74)は、「彼を超えるギャグ漫画家はもう出ないでしょう。残念です」と静かに語った。

 「ほのぼのとしたユーモア漫画が中心だった漫画界に、独自の感覚でナンセンスなギャグ漫画をもたらした」。鈴木さんは、赤塚さんの業績をそう説明する。

 最後に会ったのは昨年9月。赤塚さんの個展「これでいいのだニャロメ!」展を同ミュージアムで開催していた時、病床に見舞った。会話は出来なくなっていたが、「頑張れよ」と声をかけたという。「お酒が大好きで、本当に明るい人。今はお疲れさまと言いたいですね」。鈴木さんは、しみじみと赤塚さんをしのんだ。

 赤塚さんが投稿漫画家だった1955年に出会い、トキワ荘時代に赤塚さんを担当した元「少女クラブ」編集長の丸山昭さん(77)は「本当はシャイで、よく気のつく男だった」と振り返る。トキワ荘で歴史に残る激安名物料理「キャベツの塩いため」を“発明”したのも赤塚さんだった。

 漫画家としてだけでなくタレントとしても引っ張りだこになったころ、「オレ、ウケてんだよ。これでいいんかな」と話していたのが忘れられない。丸山さんは赤塚さんのマンガについて、「ハチャメチャで枠を外れた本当の意味の漫画の伝統を守り続けた漫画家だった」と話した。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080802-00000045-yom-ent