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2008年08月03日(日) 09時50分

「偉大な作品残した天才」「手塚さんと双璧」赤塚不二夫さんを悼む声産経新聞

 漫画家の松本零士さんの話「同世代で、漫画界に一緒に登場した“同志”だった。石ノ森章太郎(平成10年死去)に続き、そうした仲間をまた1人失い、たいへん寂しい。長く病床にあったが、夫人が『モノの識別はできますから』と話していたので、大丈夫だろうと思っていた。そう話した夫人も亡くなり、赤塚さんが続いたのでショックだ。忌憚(きたん)なく打ち明け話のできる友だった。また生まれ変わったら再会したい」

■写真でみる■ 漫画とそっくり? 赤塚さん“バカボンパパ”に変身

 10代のころから親交のあった漫画家、よこたとくおさんの話 「長い間、意識不明の状態が続いていたが亡くなったと聞きやはりショックだ。真面目でシャイな男だった。雑誌に投稿をしていたころからギャグ漫画を描きたいと熱く語っていた。自分の力を出し切って亡くなったのではないか。お疲れさまと言いたい」と話した。

 漫画家の弘兼憲史さんの話「ギャグ漫画の最高峰で、ストーリー漫画の手塚治虫さんと並ぶ双璧(そうへき)だった。アシスタントから一流の漫画家を多く輩出、心の支えとしていた彼らの喪失感は大きいと思う。10年前ぐらいに漫画展で一緒にテープカットをした。医師から飲酒を禁じられていたのに『いいんだよ』とうれしそうにジョッキを傾けていたのが忘れられない。ご冥福をお祈りしたい」

 漫画家のちばてつやさんの話「50年前ぐらい、僕が手にけがをして漫画が描けなくなったとき、トキワ荘の人たちに代筆をしてもらったことがあり、そのお礼にうかがったのが初対面。一緒に野球をしたり同人誌を出したり、思い出は山ほどある。しらふだと人と話せないほどの照れ屋で繊細。わざとふざけて人を笑わせた。ケムンパスやニャロメなど愛されるキャラクターをたくさん作った。大事な人を失い、とても悲しい」

 映画監督の山本晋也さんの話「わたしを表舞台に引っ張り上げてくれ、足を向けて眠れない人。ただただ残念。ロマンポルノのポスターを描いてもらおうとお願いしたのが付き合いの始まりで、『おお、いいよ』と簡単に引き受けてくれた。とにかく映画が好き。一緒に飲んでいても漫画より映画の話ばかり。偉大な作品を数多く残した天才、どうあっても生きていてほしかった。赤塚先生、まだ死んじゃあいけないよ」

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