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2008年08月01日(金) 19時09分

覚えてます? 命を張って女性を救ったお巡りさんオーマイニュース

 私は先日、東京に用事ができて上京しました。

 池袋から東武東上線に乗り、「ときわ台」駅で下車。その駅からタクシーで目的地に向かいました。私はその「ときわ台」という地名を知人から聞いた時に、思いました。

 「あれ、この『ときわ台』って、いつだったか、どこだったか忘れちまったけど、見覚えあるし、聞き覚えもあるなぁ。でもそれ以上はわかんねぇや」

 あきらめてそれ以上は何も考えずに「ときわ台」に向かったのです。

 ところが、あとに「ときわ台」駅とは、誰もが知るあの駅だと知ったのです。

 私は車いすで移動しているので、JRでも私鉄でも乗車した駅の駅員さんに行き先を告げれば、降車駅のホームで駅員さんがスロープを手にして待っていてくれます。そして、改札口まで車いすを押し、誘導してくれます。普通のサービスは、そこまでであとは家族に助けてもらうか自力で移動します。

 ある駅員さんに、

 「あの、ここからタクシーに乗りたいんですけど、タクシー乗り場はどこですか」

と聞くと、駅員さんは、

 「ここは南口で、タクシー乗り場は北口だから私が案内しますよ」と言い、改札を出てからも私の車いすを押してくれたのです。こんなにも親切な駅員さんに出会ったのは初めてでした。

 そして、昭和のにおいがプンプンする商店街をスルスルと通り抜け、開けたところに出た時、私の目の前には踏切が現れました。私は何も考えず、何も感じず、踏切を渡りました。

 踏切を渡り切り、何気なく左手に目をやると小さな交番があり、制服を身に着けたお巡りさんが立ち、中ではもう1人のお巡りさんが机に向かい、書き物をしていました。

 その時、私は「ハッ」としました。完全に頭の中から消えていたあることを思い出し、頭の中が真っ白になったのです。

 その踏切では、2007年2月6日に自殺願望があると見られた女性が、上から降りてきた遮断機をくぐり、「ときわ台」駅を通過する急行列車の前に歩み出ました。そして、その瞬間を目にした、当時、警視庁板橋署常盤台交番に勤務していた警視庁巡査部長「宮本邦彦」氏(当時53歳)が、自らの危険をも顧みず、踏切内に飛び込んだのです。その駅を通過する急行列車が目の前まで来ているのにもかかわらず……。そして、女性の一死を救ったのです。

 女性の命は救われたのですが、宮本さんは重体で意識不明のまま、同年2月12日にお亡くなりになりました。その件を知った当時の首相であった安倍晋三氏が、警察庁に異例の指示を出し、宮本さんはお亡くなりになったあと、2階級特進(通常の殉職の時は1階級特進)。警視庁警部になり、その年の叙勲受賞対象者となり、正七位・旭日双光章を授与されました。

 この事故は、私を始め、日本中で知らない人はいないほどセンセーショナルな出来事で、各メディアも大々的に取り上げていました。私自身も、この宮本さんが行った行動から大きな勇気と感動を頂いた記憶があります。しかし、それはテレビの画面という機械的なものからの情報でしかなかったのです。こんなにも人にとって大切なことを私は、完全に忘れていたのです。

 その現場で、宮本さんが飛び込んだ踏切を見て、宮本さんが小さな交番の前に立ち、地域の人たちに、朝には「おはよう」、「行ってらっしゃい」、夕方には「お帰りなさい」と声をかけていたのだと思ったら胸に「グッ」と熱いものがこみあげてきました。

 私はなぜかは分かりませんが、心が癒やされ、さらに、「ホッ」とした気持ちにさせて頂いたのです。その感動は、テレビや新聞などでは得られないものでした。

 人が人の命をどうでもいいような理由で奪う殺伐とした世の中です。私はこのような「人」にとって、「社会」にとって、とても大切なことを忘れていた自分が恥ずかしくなってしまいました。

 私が今回そこを訪れたのは、本当に偶然でした。

 私は今は亡き『宮本邦彦警部』からあらためて人の命の重さを教えて頂いたのです。

 もし、東武東上線ときわ台駅付近にお出掛けの際は、駅前交番の前にある宮本さんの功績を讃(たた)えたモニュメント『誠の碑』をご覧になってみて下さい。

(記者:青柳 茂雄)

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