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2008年08月01日(金) 12時27分

原爆ドームをめぐるアーティストらの試みオーマイニュース

 広島市で生まれ、広島市で育った私にとって、原爆ドームは特別な存在だ。私の人格形成の何割かがあのドームによって作られたと言っても過言ではない。そのドームをテーマとした企画展が広島市現代美術館で行われると聞いて、急きょ、東京から帰省して観覧することにした。

 私が広島市にいたころの原爆ドームは神聖視され、あがめられ、畏怖(いふ)の念を抱かれていた。今でもそうかもしれない。だから、今までに原爆ドームをテーマにした作品展があったとしても、それはまるで神を崇拝する信者が描く宗教画のようなものだった。

 しかし、今回の「ドーム」は違う。

 例えば、最も大きく取り上げられた作品は、小沢剛の「ベジタブル・ウェポン・スペシャル」だ。

 一見すると、原爆ドームの前で銃を構える女性が立っているというショッキングな写真。しかし、実は構えられている銃は広島産の野菜で作られたもの。その作品の横には映像が流されている。野菜を女性たちが収穫し、銃に加工し、原爆ドームの前で撮影し、その後、広島名物の牡蠣(かき)などを使った鍋料理に利用。仲間たちと楽しく鍋パーティーをする様子が流されている。

 武器に見えたものが、食になっていく。しかも楽しい鍋パーティーだ。笑うしかない。原爆という恐怖を植えつけられた広島市民にとって、原爆ドームを笑いの作品にしたというのは、衝撃的な事件だ。

 また、牛嶋均は「人智(じんち)の研究」として、原爆ドーム型のジャングルジムを作り、自由に遊ぶことができるようにした。

この作品は、かつて原爆ドームが神聖視される場所ではなく、人が自由に入れる場所だったことを示しているのだろうか。あるいは、神聖視されることによって、権力を持つようになり、その権力を求める人々の遊具と化したことを示しているのか。それはわからない。

 だが、ジャングルジムの原爆ドームは、私の中にあまりにも自然に溶け込んだ。そう、あれはただの建築物なのだ。そんな当然のことすら忘れていた私に、それを思い出させてくれた。

 そして、川田喜久治の写真作品「地図」は、今では見ることが許されない原爆ドームの内部の「しみ」を写している。1960年に撮られたというその写真は、ただ、壁のしみを写したものだ。

 しかし、そのしみは、人の形に見えた。心霊写真ではない。ただのしみだ。でも、広島市の人なら、必ず聞いたことのあることを思い出す。

 それはオカルトなどというものより、もっと恐ろしい話だ。爆心地から数百メートル離れた場所にいた人間が、原爆が落ちた瞬間に蒸発し、しみになった。そして、そのしみは今も原爆資料館にあるのだ。

 原爆が落ちたのは、原爆ドームの目の前だ。この作品に写っているしみが、かつて人間だったものなのか、あるいは偶然できたしみなのか、もはや誰にもわからないだろう。

 ただ、壁に無数にある「人の形のしみ」は、私たち広島市民が神を信仰するかのように、正体も知らないままに畏怖(いふ)していたものの本質を写しだしている。

 この企画展は、今まで立ち入れなかった原爆ドームの本質を、さまざまな形で暴き、検証しようという試みだと感じた。

  ◇

 この展示を見た帰り、私は路面電車を利用した。広島の路面には「被爆電車」といわれる電車が今もなお、現役で走っている。正式には650形電車というこの電車は、原爆で破損したにもかかわらず、その月のうちに市内を走り始め、絶望に打ちひしがれた市民を勇気づけたという。

 以来、ほぼ毎日市民の足として現在まで活躍している「被爆電車」の方が、私にとっては偉大な存在だ。だが、主にラッシュ時に活躍する被爆電車は、乗客にとってはただの交通手段なのだ。

 今、原爆ドームは、原爆の悲劇と人間の罪を示してたたずんでいる。そして被爆電車は、人間の強さと、希望を乗せて走り続けている。

 本物の原爆ドームの前を被爆電車が通過する瞬間、私は原爆ドームが巨大な贖宥状(しょくゆうじょう)に見えた。そして、被爆電車は、市民と希望を乗せて次の駅に向かって行った。

(記者:神田 もつら)

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