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2008年06月05日(木) 11時58分

900人が台湾の「大使」との別れを惜しんだオーマイニュース

 台湾の総統選挙では国民党の馬英九氏が当選し、民進党は敗北した。そして、学生時代を通じて日本に30年を過ごし、日本人の友人も数多い、台北駐日経済文化代表処(台湾の大使館にあたる)の代表である許世楷氏も、この政権交代に伴って日本を去ることになっている。

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 そこで、日本に住む台湾人、そして日本の友人たちが、6月1日の夜、東京のホテルオークラの「平安の間」で、別れの宴を開いた。記者は日本に拠点のある「台湾新聞社」からの計らいで、この宴に出席をさせていただくことになった。

 当日は900人近い代表の友人たちが集まり、別れを惜しんだ。また、安倍晋三・前首相はじめ、多くの方々の代表への別れの辞はどれも力強く、感動的なものだった。こういうパーティーでの祝辞は、なんでもシャンシャンで終わるような印象があるが、台湾と日本への、参加者の熱い思いが聞こえてくるような、感動的な会だった。

 特に記者が印象深かったのは、台湾人にして日本に古くから住む、評論家の金美齢女史のスピーチだった。

 「台湾は民進党から国民党への政権交代で、中国と共存していく道を選ばざるを得ません。いま中国をなんとかできるのは、日本しかなくなりました。日本のみなさん、私たちと手をとりあって、がんばりましょう!」

 まるで民進党のアジ演説のような、強烈な「中国は危ない!」というスピーチ。しかし、それは彼女の心の底からわきあがる声であったように、私は聞いた。

 かつて、ある評論家は「時代を変えていくのは、いつの時代も女の暴力である」と書いていたのを思い出した。当たっているかもしれない、と思う。

 壇上に立って別れのあいさつをしたのは、安倍前首相と金美齢さんのほか、日本中華聯合総会會長の?膳阿気鵝▲献磧璽淵螢好箸塁?罎茲靴海気鵝⊇?イ離献絅妊?Ε?鵐阿気鵝∈邁箸琉だ邱闇兄瓩量爾琶孤?箸琉だ邵艦損劼気鵝△修靴峠圧脹ゝ聴?涼羸郛式譴気鵝?

 さらに、議員バッジをつけた各政党の国会議員、テレビでよく見る評論家などの方々も、多く会場にいた。なお、阿川さんは幼いころ、許夫妻のご近所にいて、台湾のウメボシなどをもらった、というエピソードを披露していた。

 これほどの会であるのに、産経新聞以外は日本のマスコミはほとんど来ていなかった、というのは、やはり中国による、無言の圧力のなせる技なのかもしれない、と感じたのは、私だけではなかったと思う。

 聞けば、許代表は台湾の大学を卒業後、戦後の早稲田大学、東京大学に学んだ。許代表の奥様の盧千恵さんは日本で国際基督教大学、御茶ノ水女子大で学び、児童文学者として多くの著書を出している。

 ご夫婦ともに台湾と日本を行ったりきたりしながら台湾の民主化運動に携わった。そのため、台湾政府のブラックリストに載せられ、1992年、民進党政府の政権になるまで、33年間台湾に帰ることができなかった、という。

 台湾は戦前から深く日本にかかわり、よい面も悪い面も含めて、日本と親密なつながりを保ってきただけではなく、日本に対して非常に友好的な国であり、日本人でも台湾とつながりのある人たちは非常に多い。

 今後も台湾と日本の間に、大きな溝はできないだろう、と、この会に出て感じた。なお、この「お別れの会」への参加費用は一律「1万円」であった。

(記者:三田 典玄)

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