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2008年02月05日(火) 14時51分

ネット心中直前で“引き返した”男性(6)──警察と新聞社に通報したが、動いてくれなかったオーマイニュース

 2007年12月19日(水曜日)。50代の会社員O氏が行動を共にし、前日に別れた「田中」(44)と大阪の女性(22)の2人の自殺決行日になった。ただ、2人がいつ決行するのか、あるいは決行をやめるのか、O氏にはまったく分からなかった。

 「万一うまくいかなかったとき」はメールが届く段取りにしていたため、メールチェックは欠かさなかった。しかし、2人からメールは来ない。夕方までテレビニュースをチェックした。ネットでも「茅野 自殺」というキーワードで検索したが、2人の自殺を伝える報道はなかった。

 「連絡がないことをどう考えればよいのだろうか。お亡くなりになったのだろうか。あるいは、死んではいないが、連絡できない状況なのだろうか。それとも、メールアドレスを間違えて伝えてしまったのだろうか。いろいろ考えたんです。現場に行くべきだろうか。もし、息があれば救急車を呼ばなければ。そう思ったんですが、動けなかったんです」

 O氏が「最期に会いたい」と言っていた岡谷市の恩人とは予定が合わず、12月21日(金曜)だったら会えることになった。そのため、その21日までは生きていようと心に決めていた。

 水曜の晩は久しぶりにひとりの夕食となった。このころから、今回の行動を書き留めておこうと思い、ノートにメモをするようになった。

 翌20日。この日もメールはなし。関連ニュースもなかった。大阪の女性が母親あてにグリーティングメールの配達を設定していたのは、この日だった。母親が日々小まめにメールチェックしていれば、娘の死とその場所を知るはずだろうと、O氏は思った。

 「彼女(大阪の女性)は、家を出るときに、すでに母親に対して自殺予告をしていたんです。だから母親がグリーディングメールを読み、警察に通報すれば、ニュースなどになるのではないか、と思ったんです。ところが報道は何もなかった」

 O氏は茅野警察署に電話し、伝えた。

 「知り合いが、18日夜か19日に自殺したかもしれない」

 決行現場と思われる場所も伝えた。そして、そうした事実があったかどうかを聞くと、電話に出た警察官は、

 「そうした報告はまだない。電話だけだと、調べようもない」

と言った、という。O氏は続いて、地元紙の信濃毎日新聞社にも電話した。本社にかけたのか、茅野支局にかけたのかは覚えていない、という。警察に話したのと同じ内容と、茅野警察署の対応を伝えた。

 「私の情報で、新聞社として現場に確認行くことはできませんか?」

と尋ねたが、電話に出た担当者は、「できない」と答えた、という。

 「警察も新聞社も、なぜ動かないだろうと思いました。ひょっとしたらガゼネタが多く、そうした情報にイチイチつき合ってられない事情があるんじゃないかと思いました。ただ、女性は早く発見されたがっていたんです。予告して家を出てきたぐらいですから。家族を心配させたくなかったんだと思います」

 O氏自身は現場に行くことはためらっていた。そして21日、恩人とは会えた。なお、この日もメールはなく、関連するニュースもなかった。

 「この日は考えられる報道機関にメールをしました。テレビ局や雑誌社のサイトを見て、メールを送ったんです。しかし、どの社からもメールへの反応はない。このとき、25日まで待って、何の動きもなかったら、自分で現場に行ってみようと思いました。そして、実行が確認できれば、首を吊ろうと思いました。あるいは、その前に報道があれば、その日に決行しようと考えました」

 後日、私はある雑誌社の記者に聞いてみた。この時期はすでに年内の仕事は終了し、長期休暇になっており、対応できなかったのではないか、ということだった。また、O氏は県内のテレビ局にも電話している。いったんは報道局長につながるも、その後、連絡が取れなかった。O氏が電話をした夕方は、県内ローカル枠の編集をしている時間と思われ、多忙な時間帯ではあった。

 その後、O氏は、民主党本部、ある国会議員、さらにはいのちの電話にもサイトからメールを送った。しかし、民主党本部からはリアクションなく、議員といのちの電話からも形式的なメールの返信しかなかった。

 22日(土曜日)には、長野市に移動した。長野市内なら長野県内の新聞は読めるだろうし、ネットカフェもあるだろうと思ったからだ。実際に駅近くにネットカフェを見つけることができた。

 25日(火曜日)。ようやく関連記事を発見した。「変死:レンタカー内に男女の遺体 練炭自殺か 長野」という見出しの、Yahoo! ニュースに配信されている毎日新聞の記事だった。

 ああ、やっぱり……。

 記事内容から、発見されたのが「23日午後3時50分」とわかった。また「田中」が住所不定だということも報道で知った。

 「2人が命を落としたことに加担してしまった、と思いました。たぶん、3人になった段階で、私が抜けていたら、流れ解散になったいた可能性があります。あるいは、その後でも『止めた』といえば、2人は自殺しなかったかもしれないと思います。2人と別れたときに戻れるとして、『やっぱりやめよう』と言えたのかどうか。それを考えましたが、頭がまわらなかった。仮に止めていたとして、2人の苦しみにどうつき合えばいいのかもわからなかった」

 2 人の死を知ったO氏は当初の思い通りに、首をつって死のうと考えた。しかし、O氏にはこだわりがあった。方法は首吊りでよいとしても、その場所には意味が必要だ。だから、意味のある場所にしようと思ったが、最も“適切”な場所で実行すると、迷惑をかける人がたくさんいる。他の探そうとしても、結局は見つからなかった。

 O氏はこの気持ち、わだかまり、そして何よりも事実を誰かに伝えたいと思った。行動を整理したメモもつけていた。そこで、再びインターネットを活用しようと思い、「自殺 ジャーナリスト」と検索していたら、渋井哲也の名前がヒットし、メールを送ることにした。

(つづく)

(記者:渋井 哲也)

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