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2007年11月30日(金) 12時21分

偏見の眼鏡をかけていた自分オーマイニュース

 ひときわ世間から犯罪や事件、そして家出など、繁華街のイメージとしてよくないとされている今や日本の繁華街の象徴といわれている首都圏東京の渋谷。

 私の学生時代には、渋谷は今のように中学生や高校生などはそれほどいなかった記憶がある。

 事あるごとに「若者はなっていない」「教育の問題」など、ある意味、他人事のように風潮される今日この頃である。

 しかし、そういう風潮用語を考えさせられることがあった。

 土曜日(11月24日)に、久しぶりに所用で渋谷に行き、時間があったのでセンター街から公園通りを歩いてみた。

 クリスマス商戦が始まったばかりの夕方の渋谷は、案の定、若者でにぎわっていた。

 人ごみの中、渋谷駅方面に戻ろうとしていたその時、1人の男性のお年寄りが、カップルに、半分倒れかかった形で支えられていた。

 たまたまその横を通りかかった私は、「どうしました?」と聞くと、よくわからないがそのお年寄りが倒れていたとのこと。

 人の往来は夕方ということもあり、人とすれ違うのも肩があたるほど込み合っていたが、ほとんど横目で見て通り過ぎていく人ばかりであった。

 お年寄りの身体を支えていた若い女性は、「すみません、力がないので代わって頂けますか?」と言うので、私はそのお年寄りの片腕支えるのを代わった。

 そのお年寄りは、70歳前後で、身だしなみはきちんと背広を着ているけれど、とにかく両足がもつれいるようで、独りで立てる状況ではなかった。

 「どこか具合が悪いですか?」と聞いても呂律がまわらないので何を言っているのか、聞き取れない。そして、顔を近づけると、プーンとお酒の匂いがしてきた。

 そのとき、行き交う人混みの中から、若者たちが次々に周りに集まり、「手伝いましょうか」といって手を差し伸ばしてきたのである。

 歩くことも、立つこともできないお年寄りを、8人の若者たちが担ぎあげると、人混みをかき分けて、デパートの入り口の階段に移動させた。

 階段に腰かけたお年寄りは、友人達とお酒を飲み、電車で上野まで帰ろうとしたのだが、歩けなくなり、タクシーに乗ろうとしたが、足が動かなくなって、倒れてしまったとの事。

 本人は、大丈夫と言うが、誰かが身体を支えていないと、後ろに倒れてしまう状態であった。若者達は、携帯電話を取り出し、「救急車を呼びましょうか?」「110番しましょうか?」とお年寄りの身体を支えながら言う。

 昨今の救急車の出動も緊急優先とされており、これはお年寄りの酒の飲みすぎによるものであり、意識もしっかりしていたので、救急車は必要ないと考え、交番の警官を呼んで欲しいと若者にお願いした。

 しばらくすると若い警官が1人来て、状況を確認してから、

 「みなさん、ありがとうございます、あとはこちらでいたしますので」

と、警官が言うので、我々はその場を後にした。そのとき、そのお年寄りは、

 「若い人たちに、こんなに親切にしていただいて助けていただいて申し訳ない」

と頭を下げていた。

 若者達は、ホッとしたように微笑を浮かべ、心配そうに振り向きながらも、夜の渋谷の街に消えていった。

 人混みの中、ごく当たり前のように、倒れた老人を救い、微笑みを残して去った若者達の姿はすがすがしかった。

 高齢化が進む今の日本にとって、年齢を関係なくお互い助け合う、言うは簡単だけれど、我関せず、と無視して去る人の方が多い。

 しかし、私が出会った心の優しい若者達。

  「今の若者は…」という、大人たちの上から目線での見方と偏見をあらため、若者達の心優しい行動を、私は褒めてあげたいと思う。

(記者:内藤 正孝)

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