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2007年11月18日(日) 10時00分

由紀さおり(歌手)日刊ゲンダイ

 児童合唱団から数えると歌い続けて半世紀。さらには役者としての顔も。由紀さおりはそんな自分を「シンガーソングコメディアンヌ」と自称する。歌にかける熱い思い、これまでの人生の紆余曲折を語ってもらった。

 先月リリースした「しあわせのカノン〜第2章〜」(EMIミュージック・ジャパン)は、CMやドラマなどでよく使われるバロックの名曲に生命と愛の素晴らしさをテーマにした日本語詞をつけたものだ。
「今の世の中、大人も子供も閉塞(へいそく)感を抱えながら生きているのでは。特に若い世代はなかなか夢を持てなくなっているような気がします。この歌がそんな世相の一服の清涼剤になれば、と思っています」
 由紀はひばり児童合唱団に入団後、小1のときにコロムビアレコードのオーディションを受け合格。童謡歌手として芸歴をスタートさせている。
「そのときからステージは大好きでしたね。拍手されることがうれしかった」
 今でもレコーディングよりもライブコンサートのほうが好きという。

●姉・安田祥子 「クラシックでは勝てません。私の最大のライバルです」
 そんな姉と童謡コンサートを続けて21年目を迎えた。
「毎年1年かけて全国公演を行っています。また、この8月には「こどもの歌を考える会〜ソレアード〜」を発足させ、幼稚園や保育園に1枚の童謡のCDをプレゼントする活動をしています。次の世代に美しい日本語の歌を残していきたい」
 こうした思いを抱くようになったきっかけは……。
「人前で歌えることの喜びはだれでも味わえるものではありません。せっかく天から授かった才能を生かすのも殺すのも自分次第。私自身、何度も挫折を経験してきました。そんな時、母から『人を感動させることにジャンルは関係ないのよ』と言われ、ハッとしましたね。それから歌手として私のやるべきことは、これだと……」

●挫折 1965年に本名の安田章子でデビューしたが、鳴かず飛ばず。「高3でした。大人の世界、業界のシビアさを感じました」。CMソングなどで糊口(ここう)をしのぎ、69年に「夜明けのスキャット」で再デビューし、150万枚の大ヒット。78年まで連続10回、紅白歌合戦に出場する。
「でも、80年代になるとヒットに恵まれず、突破口がなかなか見つからず、もがいていました」と振り返る。
 私生活でも離婚を経験した。歌手として女として悩み多き日を送り、お酒を飲んで憂さ晴らしをしていたこともあったというが……。
「映画やバラエティーなど歌手以外の活動でまた新たな自分を発見できました。やはり自分の生きる道は芸能の世界なんだと思い知りましたね」

●断酒 「お酒は嫌いではありません。でも、姉とコンサートを始めるようになって、一時期禁酒しました」という。今は、ワインをグラスで1、2杯程度たしなむ。
「今はコンサート中心の生活。週2回、トレーナーについてストレッチや筋トレを行っています。コンサートはアスリートと同じ体力勝負です」
 再来年、歌手生活40周年を迎える。

◆プロフィル 群馬県生まれ。代表曲に「手紙」「生きがい」「恋文」「ルーム・ライト」「挽歌」などがある。また83年には映画「家族ゲーム」に出演し、日本アカデミー賞助演女優賞を受賞。以後、ドラマ、舞台などでも活躍。来年2月公開の「歓喜の歌」に出演している。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071118-00000001-gen-ent