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2007年11月15日(木) 10時43分

映画『クローズZERO』に見る「真っ向勝負」ツカサネット新聞

先日、映画館で『クローズZERO』を観た。信じるのは己の拳だけ、そんな高校生たちが不良の頂上を目指し、鈴蘭高校で闘いを繰り広げる物語だ。その物語の中核を担うのは、もちろんケンカシーン。負けた者は勝った者に従う、ケンカは勢力を広げていくための手段なのだ。ケンカというと、殴る蹴るの暴力というイメージがあるだろう。しかし映画館を出る足取りは軽く、むしろ晴れ晴れとした爽快な気分だった。それはなぜか?

それは彼らのケンカが「正々堂々真っ向勝負」だったからだ。「タイマン張れよ」と向かい合い、自分の持てる全ての力でぶつかり合う。そして、負けた者は勝った者を認め、最後には称えあう。手段はケンカだとしても、その心意気には何かスカッとしたものがある。現在はいわゆる不良という人も少なくなってきているが、一方で増えているものもある。それは「いじめ」だ。

いじめは決して「正々堂々真っ向勝負」ではない。陰湿で卑怯で、勝負という言葉とは対極にある。相手が自分より格下だと思い、一対一ではなく複数で攻める。これを『クローズ』たちが見たらどう思うだろうか。登場人物の一人が劇中でこう言っていた。「卑怯なことは嫌いだ」と。

しかし、その卑怯なことが原因で多くの人が今もその命を絶っている。さらに、いじめから大きな犯罪が明るみに出た例も最近では報じられている。なぜ、命を絶たなくてはならないのか。それはいじめが「正々堂々真っ向勝負」ではないからに他ならないだろう。陰湿で隠されているから、助けを求めにくい。そしてまた、外からも気付きにくいのだ。閉鎖的で一方的なケンカである。いや、これをケンカと言うと『クローズ』たちに怒られてしまうだろうか。

いじめをしている人に、ぜひ『クローズZERO』を観てほしい。『クローズ』たちはスクリーンの中から呼びかけてくるに違いない。「お前ら、そんな卑怯なことをして恥ずかしくないのか? 真っ向勝負はできないのか?」と。その呼びかけを無視することができないほど、『クローズ』たちは純粋に、そして正々堂々真っ向勝負で今を生きている。彼らの必死に闘う姿が、我々に何かを与えることは間違いない。


(記者:AOI)

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