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2007年11月15日(木) 10時07分

自己犠牲で働いてきた父へ、感謝の気持ちツカサネット新聞

私の父は中学卒業と同時に大企業に就職して、同じ会社で丸45年以上働き、今年6月に退職しました。本当は、勉強が好きで高校に進学したかったらしいが家庭が貧しくそれは不可能だったそうです。中学3年のときに担任の先生が高校に行かせてやって欲しいと何度も祖父に頼みに家まで来たらしいです。それでも家庭の状況は高校進学が無理だったそうです。

しかし、努力家であった父は働きながら定時制高校に入学し、卒業しました。しかし、当時の大企業の会社では定時制ということで、給料は中卒と同じ額で中卒扱いでした。しかも家庭が貧しいので給料の全額を祖父に預け、それで家族全員が生活をしていたそうです。また、4人兄弟の長男ということで兄弟の高校の学費等も、私の父が働いたお金でまかなわれたようです。

そんな父は、私も含めた3兄弟全員を大学卒業まで育ててくれました。自分が、仕事ができても学歴がないため出世できなかった経験から自分の子どもには、そのような経験は絶対にさせたくないと常々言っていました。決して少なくない大学の学費と生活費を多くない給料で若いころから一生懸命貯めていたのです。

そんな父は本当によく働き、家庭以上に仕事人間だったように思います。私が幼いころは、もっと遊びに連れて行って欲しいといつも思っていました。なんでそんなに仕事ばかりするのだろうとも思っていました。でも、自分が大人になって、20代後半と言う年齢になって、改めて父のすごさを現在、感じています。

両親(私から見ると祖父、祖母)ために若くから働き、それが兄弟のためや家族のためであった。そして、結婚してからは子どものために働く。常に自己犠牲の中から、決して中卒の高くない給料で、子どもの進学のために貯金する。

会社では学歴がなく、出世の道がなくても休みも返上して一生懸命働く。40代ぐらいになると、自分よりも年下の大卒の上司にえらそうに指示されても決して文句を言うこともなくただ我慢するしかない。家庭でも祖母、祖父の介護や農業もあり休む暇や余裕がまるでない。母の話では、何度か会社での待遇等で我慢できないことがあり辞表を書いて持っていったこともあるが、結局家族を考えるとそれを提出することはできなかったそうです。

もし、現在の自分がそこまでできるでしょうか。私自身は、物事を続けることが非常に苦手であり、家庭のためであってもそこまではできないと思います。まず、同じ仕事を40年以上続けるということがどれだけ難しいか。続けることの重要性や大切さは理解しているのであるが、父と同じ状況であった場合、我慢して働き続けることは自分には到底考えられません。もしかすると、それを私が続けると精神状態がおかしくなってしまうぐらいのことだと思います。それをずっと続けてきた父が定年を迎え、強いのだなと感じました。

父がいかに凄いか。常に自己犠牲で、常に働いている。同じところで、様々ないやなことや苦しいことを抱えながら、45年間働き続けることは並大抵ではない。家庭で一緒に遊んだり、どこかにたくさん遊びに連れて行ってくれる以上の愛情を、今となっては注いでくれていたのだと感じます。そんな父の凄さと、思いやりに私はもっと感謝しなければならないと思います。

そして、戦後の日本、高度経済成長期では父の話は決して特殊な話ではないと思う。多くの家庭が、戦後の貧しさの中からなんとか生活していき、長期間同じところで働いて、親の面倒や子どもを育ててきたのです。そのようなことを考えると、今の若者は先人に感謝するべきであり、もっと自分の両親に感謝することが必要なのではないでしょうか。そのようなことが忘れられつつある社会になってきたのではないでしょうか。


(記者:ゴールデンロード)

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