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2007年11月13日(火) 10時41分

空気を読む人・読まない人〜薬丸裕英さんの発言よりツカサネット新聞

「空気を読む」ということばが流行りだして久しい。これは、その場の雰囲気に応じて言動をするという意味があると思う。

空気を読まない人、あるいは読もうとしない人は相変わらずいる。しかも、国のトップにいるセンセイたちには自分たち独特の倫理観があるらしく、国民の声を無視することは、いまに始まったことではない。

いつだったか「国会のグッズ」として、開くと「風を読む」と書かれた扇子があり、ある党の間で話題になったことがあった。その扇子を議会に持ち込んで総理の反応をみようと試みたこともあったらしいが、当時の総理は、これまた「筋金入りの空気を読めない人」だった。

最近では、メディアに出る機会の多い人の間で「空気を読みすぎる人」が浸透してきた。その傾向が顕著になった背景として、インターネットの普及がある。匿名での視聴者の書き込みがあり、過敏に反応している。それは、テレビを見ていても手に取るようにわかる。

なんらかの集まりで、ひとりだけ違う意見を述べたなら、たちまち攻撃を受けてしまう。それを恐れるあまり、たとえ正当な意見であっても、自分の考えをはっきり述べることができなくなってしまった。

テレビ局にレギュラー番組を持っている人は悲惨で、不本意な内容であっても局の方針に従わなければならない。そのため、前日まで応援していた人に対しても、手のひらを返したような対応さえ求められる。

ここ1カ月ほど世間を騒がせていた亀田騒動も、自分だけ反対意見を述べようものなら、たちまち大バッシングの的にされてしまう。それが怖いから、まわりのようすを見て大丈夫と判断してから「実は、自分も……」と切り出すという慎重ぶり。

そんななか、ベテラン司会者が集まったある番組で、自分の考えを述べた薬丸裕英さん(41)の勇気には脱帽する思いがした。番組のなかで亀田批判めいた空気が続くなか、彼は興毅選手(20)の人柄を評価する発言をしたのだ。すると、居合わせた先輩たちは、彼のことばに一斉にうなずき、収録現場の空気はいいほうに変わっていった。

もし、薬丸さんの発言に反射的に嫌悪感を示す人がいたら、別の展開が待っていただろう。彼の率直な思いが、頭でっかちの先輩たちの心を動かしたのだ。

社会で生きていくためには、まわりの空気を読むことは大切なことだ。しかし、まわりの空気に流されないことは、もっと大切なことだとわかったエピソードだった。


(記者:翔子)

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