記事登録
2007年11月12日(月) 11時40分

いじめ問題は社会の縮図ツカサネット新聞

近年、いじめを苦にした自殺報道が増えています。かくいう私も、小学6年生のときに少しの期間ではあるがいじめを受けていました。それは、中学生になると同時に自分の力で解決したのですが、一生忘れることのないトラウマ体験として残っています。現在の私が、他人に対し少し冷めた目線でみる所などは、この体験から生まれてきたものであると感じます。

しかし、私はいじめはなくならないと考えています。もちろんなくすべきであるし、いじめ報道などでいじめられている側の気持ちになると今でも心が痛くなります。それは、自分がいじめられていたときのことを思い出すからです。そのように受ける側の立場を知っていても私はいじめをなくすことが難しいと考えています。

それは、いじめ問題は社会の縮図であると考えているからです。例えば会社では、上司にいじめられる社員は必ずといっていいほどいます。最近では、パワーハラスメントといって少し問題視されてきていますが、依然として、会社での上司の力は大きいのです。そこで、上司が気に入らない社員は、冷遇するといったことは現在でも当たり前のように行われているのです。

これをもっと広い視点で考えると、部落差別もそうです。たまたま生まれたところが部落という地区であるからといって、その人との結婚が反対されたり、差別されることはとても不自然なことです。世界的に見ても人種差別等で同じことが言えるのです。つまり、社会全体、人類全体でいじめを作り出しているのです。

そして、これまで私たちの先祖や親が作り出してきた社会の仕組みについて子どもは敏感になっているのです。そして、子どもは学校という小さな世界で同じことを行っているのです。だからこそいじめ問題は解決しないのです。

本来、大人は子どもの手本となる存在であるべきです。大人の言動や行動は必ず子どもが見ているのです。そのこれまでの大人が作った社会のマイナス部分、それが今のいじめ問題に反映しているのではないでしょうか。そして、子どものいじめ問題をなくすためには、まず、あらゆる差別、社会のゆがみを自分も含めた今の大人たちが正していかなければ難しいのではないでしょうか。いじめ問題は決して教育や先生だけの問題ではなく、人類全体で考えていかなければなくならない問題なのではないでしょうか。



(記者:ゴールデンロード)

■関連記事
ゴールデンロード記者の書いた他の記事
「社会・社会問題」カテゴリー関連記事

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071112-00000003-tsuka-soci